救急は医療の玉手箱。
箱を開けて、何が出てきても対処できる醍醐味を一緒に味わいませんか?
丸藤 哲
毎日の研修に励んでいることと思いますが、これまでの研修はどうでしたか?
実り多い研修でしたでしょうか? あるいは悔いを残す研修でしたでしょうか?
いずれにせよ、初期研修の2年が皆さんの医師としての一生を規定するものではまったくありません。
が、ひとつ大事なことを言わせてもらえば、教師や先輩方に手取り足取り教えてもらう、いわゆる「spoon teaching」時代が残り少ないと言うことです。
それはなぜかというと、皆さんが研修を終えて、来年の4月には実社会へ巣立って行かなければならないからです。実社会は厳しく、これまでのように、人は手取り足取り教えてくれません。
新明解辞典には実社会のことがこう書かれています。つまり「美化・様式化されたものとは違って、複雑で虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続であると言える、厳しい社会」であると。
これまでの「spoon teaching」時代は、教えてもらったことをそつなく理解して試験で良い点を取ることが要求されていたかと思います。そうした中で皆さんはこの要求に完璧に応えることのできた秀才かと思われますが、実社会ではそれだけでは通用しません。
それではどうすればいいのでしょうか?
実社会で成功するための秘訣は、森羅万象全てに対する飽くことなき興味と疑問を持つことだと思います。
急性期医学の代表である救急医学は、これから50年は続く皆さんの医師人生のすべての期間において、尽きることのない興味の源と湧き出る疑問の泉を提供していきます。
多くの慢性期病態を扱う医学は「基礎編」であり、私たちの急性期医学はその「応用編」です。救急初療の現場では、数分単位で変化する病態を的確に把握し、診断と治療を同時に進めなければなりません。集中治療では数μg/kg/minのカテコラミンの増減が、あるいは数cmH2OのPEEPの変化が劇的に症例の病態を改善したりします。
救急は、歩いてあるいは交通機関で受診に来られる患者さんとは違い、ほとんどの場合、意識がなく搬送されてきます。心肺停止の患者さんもいます。どこが悪いのか、どうすれば助けられるのか。何が何だか訳が分からないという余裕はありません。一秒を争いながら診断と診療を同時に進めなければ、患者さんの命を救うことができない現場です。
救急医療は、知識と技術が瞬時に問われます。救急は医療の玉手箱ともいわれています。その箱の中身は人の生死を扱う事ですから、緊張感も半端ではありません。しかしその分、醍醐味を味わう事ができます。患者さんが回復して元気になられて退院して行く姿を見ると、他とは違いやりがいも大きく、増して行きます。
また、先の東日本大震災では大勢の救急に関わる医師たちが現場に駆けつけましたし、海外の混沌とした現場や、日本人の関わる大事故にも派遣されたりもします。地域だけを支えるだけではなく、グローバル化も求められています。
この実感は基礎編で経験することは難しく、応用編の救急医学でのみ味わえるものです。
僕が北海道大学で1999年に救急医学教室を主催して14年、北海道大学病院で本格的3次救急医療を2000年6月5日午前零時に開始して13年経ちましたが、これまでに急性期医療を志す若い医師が救急医学教室に多数参画してきました。この新しい息吹が北海道大学病院の救急部集中治療部を、旧国立七大学のなかで最大かつ最良の質と量を誇ることのできる施設としてくれました。僕らはこの素晴らしい教室と施設をさらに発展させ、日本のみならず世界的規模で展開することを考えています。僕らと一緒に救急医学の面白さを味わいませんか?そして、この面白さを多くの後輩たちに伝えていきませんか。
僕を筆頭に救急医学教室員一同、諸君が僕らの教室の門を叩き、ともに救急医療の頂点を目指すことを心から期待して、お待ちしております。