何故私は救急医学を志したのか
丸藤 哲

救急医学への道を歩み始めるきっかけは、救急医療の「武者修行」、今でいう研修を思い立ったことからです。私はもともと気管挿観管と蘇生にあこがれて麻酔科に入局して3年半ほど麻酔に専従していました。
当時は交通事故の急増と、患者のいわゆるたらい回しが問題になっていた頃で、救急医療体制の基礎がようやくできつつある時代でした。このような時代背景の中で、東では日本医科大学救命救急センターが、西では大阪大学特殊救急部が救急活動を華々しく展開し始めていました。
当時の私は日常の診療では満足できず、もっと様々な医学分野に興味を持ち助けられる命を救いたいという思いがありました。そのため宮本武蔵の剣修行よろしく、自分の専門だけを過信せず救急という荒波にもまれようと、この世界に飛び込んでいったのです。
さて、実際に研修を受ける際に、先の東西の二病院のどちらのお世話になろうかと思案しましたが、ちょうどその時に大阪府立病院で救急を行っていた北大麻酔科の先輩から「府立病院なら症例も多いし、職員になれるで(大阪弁)」という一言をいただき、同病院救急医療専門診療科の門を叩きました。そこで私を指導して下さった桂田菊嗣救急医療専門診療科部長との出会いと救急医療の経験が、今の私の「救急」の原点だと思っています。
二年間の同病院在籍中に私は救急医・救急外科医としての訓練を受け、麻酔科医としてではなく救急外科医として多くの救急手術に入り、同時に非常に数多くの救急症例を経験しました。救急医療の面白さは、病院前診療(ドクターカー、ドクターヘリ)、初療における救急蘇生と救急診断学、緊急手術、その後の集中治療、後方病棟での治療から退院にいたるまで全てに自分自身が関ることのできることで、そこから実に多くの事を学べることを経験し、理解することができました。
私には医者としての肩書きがあります。仮定の話で申し訳ありませんが、皆さんが飛行機に搭乗していて、客室乗務員から「急病人が出ました。お医者様がご搭乗されていましたら申し出てきてもらえませんか?」というアナウンスを聞いた時に、直ぐさま手を挙げることができますか?今の私にはできます。しかし、中には「私は・・科が専門なので…」「・・臓器が専門なので…」と躊躇してしまう医者だって少なからずいると思います。救急医学を学んでいれば、さっと手をあげて、適切な診断をして1人の命を救うことができます。これは実に素晴らしいことだと思いませんか。
さらにもう一つ。私の持論は「救急医療はシステムである」ということです。つまり救急医療は社会の下部構造を支える担い手であるということです。水道、ガスなどのインフラと同じように、社会になくてはならない下部構造なのです。このことも桂田菊嗣部長から学ぶことができました。
桂田菊嗣部長にお会いしたときに、どうして部長のお歳で救急医療に携わることができるのかと不思議に思ったのですが、自分自身が当時の部長のお歳に近付き、30年近く救急医療をやってきて答えを出すことができました。
それは「救急が好き」だからということです。
救急医学は内科系・外科系を問わず、すべての医者にとって応用編です。
自分で病院まで歩いてやってきて話すことができる患者の診察、あるいは術前にすべてを検査してから臨む定期手術等の基礎編とは異なります。救急医学は意識障害があり、外科系・内科系疾患を併せ持ち、診断する前に治療を開始しなければ救命できない患者を相手にする、瞬時の判断と決断を要求される医療なのです。ですから救命救急は、何にでも興味がある人間にはぴったりの医療体系ではないでしょうか。
皆さんがテレビの救急医療特集を見て、あるいは救急医が主人公の漫画を読んで、救急は面白いと感じたとしましょう。しかし、実際には臨床実習に参加して救急医の勤務状況を知ったとたんにその気持ちが萎えてしまうのが普通なのかもしれません。ですから単純に救急をやってみたい、好きだからという理由から救急医を目指す若い人が少ないことも理解しています。
だからこそ、最後に皆さんに是非伝えたいことがあります。
私たち救急医は自負を持ち働いているということを。それは、救急に興味を持つ私たちが日本の救急医療体制を確立し、救急医学の基礎を創り上げたという自負です。まさに日本の救急医療は、昼夜を問わず24時間365日体制で働く多数の情熱あふれる救急医により支えられています。
我々の救急医学分野は、若き先鋭達が誠心誠意込めて救急診療と救急医学教育・研究にあたる活気ある分野です。北の大地北海道で私たちと共に救急医学の道を歩んでみませんか!
私は皆さんに夢と将来を約束します。