佐藤弘樹先生は幼い頃から救急医に憧れていたという。それは父親の影響が多分にあったからだ。父親は現在、開業医として地域医療に貢献しているが、若い頃は救急医として全国を転々としていた。その父親の背中を見て育った佐藤先生が救急医を志すようになるのは自然な成り行きだったかもしれない。もっともそのことに加え、救急を素材にしたドラマの影響もあったそうだ。
そんな佐藤先生は救急の勉強になるからとローテート先を市立函館病院に選び、2年目に北大の救急で二ヶ月の研鑽を積んだ。これからのこと、印象に残った症例などの話を聞いた。
佐藤弘樹先生プロフィール
- 1992年 鹿児島生まれ埼玉育ち
- 埼玉栄東高卒業後、札幌医科大医学部入学
- 2016年 同大同学部卒業
- 市立函館病院で初期臨床研修
プレホスピタルの重要性を比較実感できた札幌での救急研修
佐藤先生は現在、市立函館病院でローテート2年目。同病院を初期臨床研修先として選んだのは、母校の札幌医大と深いつながりがあったため救急科の医師から勧められたからだ。
「函館の病院はいいぞ。救急の受け入れ数が道内の救命救急センターとしては一番多い」と救急科の医師に言われ、それならば手技の経験も積め勉強になると思った。
市立函館病院は道南の中核病院で、同地域唯一の救命救急センターを併せ持ちながら3次救急以外の患者も受け入れている。そのために年間の救急受け入れ患者は8,000人で救急搬送は5,000件にも及ぶ。ドクターヘリの基地病院にも指定されている。医学生時代にも「地域包括型診療参加臨床実習」として市立函館病院で4週間学んだ経験も研修先に選ぶ動機としては大きかったそうだ。
その市立函館病院では、最初の三ヶ月を消化器内科で過ごした後、つぎの三ヶ月間、救命センターで救急の研修を受けた。函館では他科の研修中でも定期的に救急の当直を担当していた。重症外傷やPCPSの措置が必要な患者が運ばれてきた場合には連絡してもらうようにして、積極的に救急医療の現場に立つ努力を続けていたという。
そして2年目。二ヶ月間、診療科目を問わず北大で研修を受けられる制度が市立函館病院にはあった。「札幌に行きたかった。救急志望なのでせっかくなので、北大の救急を見てみようと思って」と北大救急を選択した理由を口にする。
佐藤先生は2017年6月から二ヶ月間、同救急で研鑽を積むことに。函館と札幌。同じ救急でも色々な違いがあったという。
「重症度が全然違いますね。例えば函館だったらVFの心停止とかたまにしか来ないですけど、札幌だとしょっちゅう受け入れています。外傷も重症度の高い患者ばかり。札幌は人口が多いからだと思うのですけど」と佐藤先生は感想を述べる。
プレホスピタルの違いも実感した。市立函館病院の救急は道南圏を広くカバーしている。函館市だけでも平成の大合併で約680キロ平方メートルのエリアに膨れ上がっている。札幌の約半分のカバーエリアに3次指定救急病院は一つのみ。しかも地図をよく見ると函館市の中心は南西部の一画。旧恵山町や旧椴法華村の中心街から40キロ以上も離れている。救急車でも小一時間はかかる距離。しかし道南エリアではドクターカーの配備が遅れているため、よほどの重大事故でトリアージが必要な現場でない限り、途中で医者のドッキングはほぼあり得ない。
119番の一報から救命救急センターに運ばれてくるまでの時間がかかってしまうために「重症化してしまう患者が多くなってしまう」(佐藤先生)。もっとも時間と距離だけという単純な問題だけではなく、高齢患者が札幌に比べて多いということも鑑みなければならないが、佐藤先生は、プレホスピタルの重要性を札幌で感じ取った。
北大救急での研修で身についた経験の質問をすると「安直なことから言えば、手技は色々とやらせてもらえました。函館ではできなかった開胸とか気管切開とか」と話す。北大での救急研修の二ヶ月目には研修医が佐藤先生しかいなかったために、そのような機会に恵まれたことを感謝しているという。
「でも単に経験しただけで、まだ身には付いていません」と佐藤先生は少し申し訳なさそうに俯いた。
北大に来てからシステムの違いもあるが、佐藤先生の行動で大きく変わったことは、夜も患者の状態を気にかけるようになったことだそうだ。函館時代は呼び出しがない限り、夜の病棟にはほとんど足を運ばなかったが、北大救急は24時間勤務当直なために、患者を24時間という時間軸で診るようになった。
「一人の患者を一日、ずっと経過を追っていくのですけど、1時間の間にものすごい変化があったりします」また夜、患者がよく眠れているのだろうかということも気にかけるようになったという。
特に大きなきっかけがあったわけではないが「(北大の救急は)ICUや病棟が身近なので、すぐに行けて患者を診ることができます。それで患者の状態を、常に気にするようになったのです」と佐藤先生。
中でも勉強になったことは「全身管理でした」と佐藤先生は話す。全身管理を把握して理解していなければ、診断、治療はままならない。当然、毎朝、患者一人に対して10分以上も行うカンファレンスで説明がうまくできない。上級医からの鋭いツッコミも容赦ない。その助けとなったのは北大救急独自のデジタル温度板だったという。函館時代は看護師が時間ごとに記入していた温度板は、ここ北大救急ではリアルタイムにバイタルサインが表示されていく仕組みとなっている。
「はじめは慣れるまで大変でしたが、すごく良いシステムです」
そんな佐藤先生だが、一時期、救急が嫌いになったこともあったという。
話は前後してしまうが、実はインタビューの最後に救急は好きですか?と質問したところ佐藤先生は「今は好きです」と答えた。あえて「今」という言葉を使ったということは、嫌いになった時期があったということを、ほのめかしたのだった。「それこそ昨年、(市立函館病院の)救急を回っている時は救急が嫌いでしたね」と佐藤先生は素直に答えた。
初期臨床研修で最初の三ヶ月を消化器内科で研修を受けた後に救急へ。理由は誰もが陥る原因かもしれない。それは、救急医療は学ぶべき幅が広く、何を勉強すればいいのかわからなくなってしまうからだ。
「1年目で全然わからなかったですからね。勉強する幅も広い。何を勉強すればいいのかと聞くと『全部』と言われる。それが一番辛かったですね」と佐藤先生は苦笑いを浮かべた。
心に残るアドバイスは「まずは患者さんを診なさい」
医者が患者を診るのは当たり前の世界だが、医者に成り立ての頃はどうしても専門書に頼りがちになる。ましてや救急の症例は千差万別で、覚えることは幅広い。治療/診断の際には専門教科書は欠かせないところなのだが、、、、。
佐藤先生が北大救急で研修を受け始めて1週間が過ぎた頃、頭部外傷の重症患者が救急搬送されてきた。20歳代の女性。交通事故で受傷したが、緊急開頭血腫手除去手術後、ICUで教官の方波見謙一先生と一緒に経過を見守っていた。
佐藤先生はICUの片隅で専門書をひもときながら、どのように対応措置するのがベストかを探っていた。すると方波見先生が近寄ってきて一言発した。
「患者さんのそばにいて診ていなさい。教科書は後で調べられる。まずは患者さんをみなさい」。佐藤先生はハッとさせられたという。
重症頭部外傷で一冊の本が書けるほどの症例。「救急医になりたいのであれば、この症例はすごく勉強になる。この症例からたくさん吸収しなさい」と方波見先生がアドバイスした。佐藤先生は「おかげですごく勉強になりました。特に頭蓋内圧モニターなどを使いながらの頭部外傷患者の全身管理です」と述懐する。
患者はその後、従命を取れるほどまで意識が回復したという。佐藤先生にとって印象に残る患者となり、転科後も時折電子カルテでチェックしながら経過を診るほどの症例となった。
ドクターカーで初めて取れたルートは、素直に嬉しかった
佐藤先生に北大救急での研修で嬉しかったことを尋ねると、控えめに「ちっぽけなことなんですけど」と話を続ける。それはドクターカーの中で初めて末梢ルートを取れたことだという。
患者は40歳代の男性。飲食店で食事中に卒倒した。119番で救急隊員が駆け付けた時には心室細動による心停止であった。救命士が除細動を施し、佐藤先生がドクターカーで現場に到着した時には心拍が再開していたという。
そして病院に戻るドクターカーの中で患者の末梢ルートを取ることに。それまでドクターカーで末梢ルートを取ったことがなかったので、できたときは「プレホスピタルと言う状況下だったこともあり、すごく嬉しかった」と話す。
ドクターカーは救急車と同じように、道を譲る車の脇を抜けていくために蛇行が激しい。時には急ハンドル、急ブレーキと、とにかく揺れる。狭い上に、急がなくてはならないために焦りも生じる。そのような中で細い血管に針を刺してルートを確保するのは至難の技なのだ。
目指すべき救急医とこれからのキャリアアップ
佐藤先生は、幼い頃から救急医だった父の背中を見ながら育った。父親は現在、開業医として地域医療に貢献しているが、佐藤先生の小学生時代からの憧れは救急医。そのため医学部への進学は早くから目標に掲げていた。
その夢をさらに後押ししたのがテレビドラマ。救命病棟24時に出てくる外科医の進藤一生先生に憧れ、受験勉強の合間によくドラマを観ていたそうだ。
そのため当初は自分で手術もできる救急医になりたいという思いもあったが、佐藤先生は今では「集中治療がしっかりできる救急医になりたいです」と話す。それは母校の札幌医大や、研修で影響を受けた北大病院の救急が集中治療に力を入れているからなのかもしれない。
それでも佐藤先生は「やっぱり自分で血を止められる救急医なりたいです」とこれからのキャリアアップを口にする。そのために将来、放射線科でIVRといわれるカテーテル治療を学びたいという具体的な目標を掲げている。血管内操作による止血やCT、X線透視によるドレナージなど、これからの救急で欠くことのできない手技だ。
佐藤先生はまずは救急の専門医資格を得るために札幌医大の医局に入局をすでに決めている。IVRの勉強はその後で「できれば済生会横浜市東部病院か聖マリアンナ医科大学とかで勉強して、いずれ北海道に帰ってこれたらいいかなと思います」と目を輝かせる。
後輩へのメッセージ
「全身管理が学べるのはすごく大きいですよ。救急の研修を一ヶ月単位で取る人が多いですが、それだとやっと慣れたところで終わります。やはり二ヶ月以上の長期で取るのがオススメです。
学生の実習で臨むのと研修で臨むのとは全然、違います。研修をして一緒に働いていると、困ったことがあればすごく親身になって教えてくれますし、ちゃんと頑張っていれば認めてもらえる科なので、すごくいいところだと思います」。