北海道大学病院 救命救急センター | 北海道大学大学院医学研究院 侵襲制御医学分野 救急医学教室

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研修医インタビュー [第17回]池田寛さん

今回は、例年恒例の長期実習を終えたばかりの医学部6年生に登場していただく。紆余曲折を経て医学部に入り、救急医を目指している池田さん。本人は「恥ずかしいことなので、(経歴は)できれば触れないで欲しい」と話しているが、医は仁術とも言われるだけに苦労した豊富な人生経験はマイナスどころかプラスである。医学部生ながら早くも救急医を目指しているという池田さんには、救急での長期選択実習はどのように目に映り、どのような経験と知識を得たのだろうか。

池田 寛さんプロフィール

  • 1981年 広島県広島市生まれ
  • 崇徳高校卒業後、北海道理学部入学
  • 同大同学部卒業後、フリーターを経て北大医学部入学
  • 現在、同大同学部6年生

今回は、例年恒例の長期実習を終えたばかりの医学部6年生に登場していただく。紆余曲折を経て医学部に入り、救急医を目指している池田さん。本人は「恥ずかしいことなので、(経歴は)できれば触れないで欲しい」と話しているが、医は仁術とも言われるだけに苦労した豊富な人生経験はマイナスどころかプラスである。医学部生ながら早くも救急医を目指しているという池田さんには、救急での長期選択実習はどのように目に映り、どのような経験と知識を得たのだろうか。

友人の突然の事故死がきっかけで救急医を目指す

池田さんの写真

池田さんは北大の理学部数学科を卒業後、フリーターとして受験生に勉強を教えながら生活していた。
卒業後しばらくしてのこと。親しい友人がオートバイ事故で亡くなったという連絡を受けた。病院に駆けつけると、二度と動くこともなくベットの上で横たわっている。ヘルメットで守られた顔は綺麗で、まるで眠っているようだった。
突然、友人を襲った死を前に「何とか助けられなかったのだろうか」と池田さんは当時、思ったという。「ガンとかならば余命とか、ある程度、予想がつくのですけど、いきなり亡くなるというのはやっぱり、どうしても周りの人、家族とかがすごく辛いことなのだなあと。そのことを自分でも経験して、それ以来、できればそういう人を減らしたいなと考えて、救急をやりたいなと思いました。」と、池田さんは医者、特に救急医を目指した動機を口にする。
今なら内臓損傷のために心停止で運ばれてくる重症患者を救うのは難しいと池田さんは理解できているが、当時はまだ「もうちょっと(助けることが)出来たんじゃないかなと」と思ったという。ともあれ、池田さんを医者の道へと突き進ませたのは、親しい友人の突然の死だったことには変わりはない。
池田さんはその後2年間、予備校に通いながら医学部を目指して受験勉強を重ね、見事に医者への夢の入り口を掴み取ることができたのだった。

ドラマと違ってシステマチックな救急医療

救急の長期研修。最初の印象を池田さんは「ドラマと違ってシステマチックに動いている」と口にする。
3次救急ということもあり、手順が明確だったという。池田さんは自身のまださほど多くはない実習など経験から「いわゆる一般の病院とは違いますね」と話す。
「何をしようかと考えるのではなく、まずはバイタルを安定させる。その上で次に進む。それをすごく見ることができました。勉強した人には当たり前のことだとは思うんですけど。心肺停止の人(の治療)も初めて見られた。やはり非常に勉強になりましたね」。

印象に残る症例は、救急医志望をより強く思うようになった、ある救急搬送された患者

3次救急は様々な原因で重症化した患者が運ばれてくる。目の前の「絶望的」と思える小さな命の鼓動に再び正確なリズムを刻ませて社会生活に復帰させるように元気付ける医術を提供していくのが救急医の役割だ。それが例え、自殺を図ろうとした患者さんであろうと、救急医の使命は変わらない。
池田さんが印象に残る症例として、一番にあげた。
池田さんは「一番最初から6週間ずっと見られたということと、会話ができたことで、印象深いですね」と話すが、症例そのものよりも救急医を目指そうという思いを、新たに強くしたからだという。
池田さんは話を続ける。
「この患者の(治療に携わった)時に思ったのが、この1年間、『君は何科に行きたいか?』と聞かれてきたんですけど、僕は “救急” と答えていたんですね。最初からいつものように。でも、中にはあまり救急にいい思いをされていない先生方もいらっしゃって。『救急って最初診て、他の科に送るだけの人でしょ。こういう患者だったら整形外科に送るとか、頭だったら脳外科へとか。そういうことをしているだけで、自分で診ないよね』と。このようなことを言われることが多々あったんですね。地方の救急は、救急専門の医者がいないところもあって。そうなのかもしれないけど、この症例を見て、すべての処置が終わって、手術は整形外科にコンサルとかしたんですけど、初療室からICUに行く間にベッド処理している間に、お母さんが待ってらっしゃって、そこでやっと、会って。そこで、ちょっとした会話もできて、こういう仕事をする人って絶対に大事なんだなと思いました。(北大の)講義でも前川先生が『3次救急は救急搬送の全体の5パーセント。でもその5パーセントの人たちのために僕らは頑張っているんだ』というのを聞いていたりすると、必要とする人は絶対にいるわけで、本当にやりたいなと思いますよね。」
話の引用が長いが、そのまま記しておく。

思い込みの怖さと再評価の重要性

池田さんは6週間の実習の時に、何度か苦い思いをしているが、中でも身に染みてことの重要さを感じた出来事があった。それは、転院搬送されてきた患者さんに関してだった。患者さんの病名は敗血症とされていた。池田さんはそう信じ込んでいた。
実際に転院にあたり、新たに受け入れたその患者さんのカルテを池田さんは書かせてもらうことになり、病名の欄には迷いもなく「敗血症」と記入したのだった。
毎朝のカンファレンスの場で、ICUを担当の医師の口が開いた。
「これ、敗血症と書いてあるんだけども、判断基準は?バイタルとかも一切書いてないのに、敗血症と書いたの?それはおかしいよね」
池田さんはハッとした。返す言葉が何もなかった。
そう、池田さんは転院の際の情報を鵜呑みにしてしまい、再評価することを忘れてしまっていたのだった。全くの思い込みだけでカルテを書く危険性を改めて感じた。
別の上級救急医は、後でカルテを見直すときちんと再評価して診断をつけて「敗血症」としていた。
「ぐうの音もでませんでしたね」と池田さん。「でもその失敗から診断をつけるのかがどれだけ大変で、どれだけ重要かということを感じました。転院の情報や、救急隊からの情報もそうですけど、鵜呑みにするのではなくて、自分でちゃんと確かめるというのはすごく大事なプロセス。そこをサボっていたというのは、ご迷惑をかけたと思います」と池田さんは真摯に受け止める。
思い込みの危険さと診断のための再評価の重要性。池田さんはこのことを指摘してもらい非常に感謝しているのだという。

実習で自信につながった

池田さんは救急医を志していることもあり、ACLS(2次心肺蘇生法)、ICLS(突然の心停止に素早く対処して蘇生させる訓練)の受講経験がある。 「いきなり人が倒れた時にでも、自ら手をあげて対処できる」と池田さんは話す。 「できることは少ないかもしれないけど、人よりは質が高いことをうろたえずにできるのではないかと思います。実際に遭ってみたらわからないですが、多分、必死になれるのでは。何すればいいのかということは一応、頭に入っています。パニックになって、何をしていいのかわからなくなるかもしれませんが、少なくとも逃げ出さないですね」と池田さんははっきりとした口調で語る。
手技も多く体験したという。池田さんは「たくさんやらせてもらいました。尿道カテーテルをやらせてもらったり、気管挿管をさせてもらったりしました。血培を取るとか、ルートを取るとかも。お亡くなりになった人の腰椎穿刺とかさせてもらいましたし、多くのことをさせてもらいましたね」と話す。
患者の体液管理も勉強になったという。特にICUでのクモ膜下出血の患者さんの対応だったという。
その患者は尿量がすごく多かった。1日4000ccとか5000ccの尿量があった。池田さんはずーっとつきっきりで、一時間ごとの尿量や尿比重を測りながら見守ったという。
その時に指導医が「こうすれば良いんじゃないかと」一緒に考えてくれたことが面白かったという。エコーで下大静脈が張っているかどうかを見たり、血管内にどれだけ水があるかを調べたりした。輸液した分が出ているのかとか、それともそれまで何日分を輸液した分が出ているのかということを考えていくためだ。特に脳卒中とか脳血管障害だと血中のナトリウムが下がったり尿中に排泄されていく様態が起きたりするかもしれないという。
池田さんはさらに話を続ける。
「例えば血圧が下がっている理由はなぜなのか?とか。例えばSPO2が低いなと思ったら、次に何を考えるかと。もちろん気管支鏡をして調べてみるとか、エコーして調べてみるとか。その時が何時であっても先生がたは原因検索をしていく。その姿勢が一番、僕らは学びましたね」
そのため、実習で池田さんは次に何をするのかを頭の中でシミュレーションするようにできるだけ努めた。

自分がいたから助かったと言われるような医師を目指したい

目指すべき医師像を聞くと池田さんは開口一番、「ここの病院にかかって良かったなと思えるような医者にはなりたいですね」。
そして言葉をつないだ。「もちろん、他の先生でも出来るようになることしか出来ないかもしれないけれど、この先生がいたから助かった、もしいなかったら助からなかったと、そういう風に患者さんやご家族から思ってくれるような医者を目指して勉強して、そのように言われるようになっていきたいと思います。」
卒業後は、一旦、北大を離れて本州の病院で初期臨床研修を目指すという。1次救急、2次救急でもっと勉強をしたいためだ。「僕は北大病院が大好きなので北大病院が客観的に見られるようにも、一回、外に出てみたい。他の病院をたくさん見て、北大病院のいいところを発見したいです。そしていずれはここに戻ってきたい」と池田さんは目標に向かって目を輝かせた。