北海道大学病院 救命救急センター | 北海道大学大学院医学研究院 侵襲制御医学分野 救急医学教室

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研修医インタビュー [第13回]安達ひろむ先生

安達ひろむ先生プロフィール

  • 1988年 宮城県塩竈市生まれ
  • 宮城県立第一女子高校卒業後、聖マリアンナ医科大学入学
  • 2014年3月 同大卒業
  • 2014年4月から12月まで北海道大学病院で初期臨床研修を受ける

家族が入院、不安になるくらいなら医学を勉強しようと医者の道へ

安達先生の写真

北の大地に縁もゆかりも無かった安達先生。北海道大学病院を選んだきっかけは、たまたま研修プログラムの話しを聞きに来たことだった。医大生時代に病院見学をあまり行っていなかったことに加え、「北海道をよく知らなかったので」と北の大地への興味が高まったそうだ。
「大学病院も見られるし、市中病院も見れるプログラムを用意してくれていたので、一番いいと思いました」。
医者を目指したのは、父親が医者だったことも大きな動機ではあったが、安達先生自身が幼い頃に病気がちだったり、家族が入院したりしたことも一つの理由だという。「(原因が)分からなくて不安になるくらいなら、医学の勉強をしてみたいと思ったのです」と安達先生。
大学受験は人より少しだけ苦労したものの、2浪の末に神奈川県川崎市にある聖マリアンナ医科大学に合格した。
「全然、(模試とか)ダメダメだったけど、もう後戻りできないと思って。いじっぱりなんです」
安達先生は、考えたり思い出したりするたびに、右手を右頬に添えて俯き加減で答える。思いつきで話すタイプではなく、黙考して正確な言葉を紡ぎたいという、まじめな性格所以の所作なのだろう。
学生時代には6年間カヌー部に所属し、激流と格闘していたスポーツウーマンでもある。大学時代でなければできないクラブ活動をと考えての入部だったそうだ。
練習では何度もカヌーが転覆して、頭が水中のままで体勢を立ち直らせることができずに、「何度も死にかけて大変でした」と真顔で答える。
「下手だったのかな?」
今は、もう二度とカヌーをやらないという決意をしている。
「(カヌーは)本当に怖い。怪我する可能性も高いので」
3月14日のホワイトデー生まれの安達先生は、大学を卒業すると間もなく医者3年目の医者と結婚して初期臨床研修生活を送っている。

自分で判断して考える濃度が濃い救急での研修

安達先生は、4、5月を皮膚科、6、7月を第一内科非癌グループ、8月を第二内科腎臓グループ、9、10月を麻酔科とまわり、11月から2ヶ月間救急で研修を積んだ。2015年1月から3ヶ月、勤医協中央病院でプライマリーケアーを学ぶ予定である。その後は通称「タスキがけ」と呼ばれる制度を利用して、市立札幌病院で初期臨床研修の後半に臨む。
救急研修での感想を安達先生はこう口にする。
「いざ臨床の現場に立って働いてみると、患者さんはこの処置をしたらどうなっちゃうんだろうとか、患者さんの容態についてもそうですけど、今後についてとか色々考える視点が増えました」
学生時代は、心臓マッサージのような手技とか学んでいるだけで満足していたが、手技や知識だけを身につけるだけでは何の解決にもならないことを悟ったという。
全身管理の勉強ができたことは有意義ではあったものの、どうしても水分管理の方に重点をおいてしまい、栄養管理を見落としがちになることも分かった。
「患者さんが口で食べられない時にどのくらいのカロリーをどうやって入れてあげるかということを絶対考えなきゃいけないんですけど、結構見落としていました。というかあんまり意識してなかったんですよね。これはほんと恥ずかしい」と安達先生。
指導医に「栄養はどうしているの?」「この患者の一日必要なカロリーはどうなの?」と聞かれて初めて気がついたというのだ。
患者の水の出し入れだけが全身管理ではなくて、栄養ということも考えて「本当の全身管理なんだということを学びました」と安達先生は、顔を赤らめながら話す。
また救急の研修では、他科に比べても自分で考えて自分で判断しなくてはならない場面が多い。フィードバックしたり勉強し直したりすることも増えてくる。
安達先生は「他の科を回っていたときに考えなかったわけではないんですけど、考える濃度が濃いのは救急の方ですね。内科でも全身管理が重要なんですけど、救急はより意識しました」。
さらにより高度な専門知識を救急は求められることを感じたという。
安達先生はこう続ける。「なんて言うんですかね…。より高度というか、あらゆることを解っていないとだめですね。救急処置した後、専門のある診療科に依頼することもあるんですけど、依頼するまでの過程を知っていないと対処できないと思いました。このくらいだったら、この科に見せた方がいいとか、このくらいだったら自分たちで診られるとか。それは様々な専門分野をわかっていないとできないことじゃないかな」。
安達先生は救急での研修を、追い込まれる気持ちもあったが、有意義だったと振り返る。
「自分の至らなさで困ることは多いですけど、毎日発見もあるし、こういうこと勉強しなきゃってなるので楽しいです。食事にしても睡眠にしても、患者の全身管理が大事でそれを実行しなきゃいけないと気付かせてもらいました。あとは瞬発力ですかね。つまり、自分で何が出来てどんなことを求められているか、自分ひとりで出来るものなのか出来ないものなのか判断する力です。まだ完全じゃないんですけど、ほんのちょっとずつ、(その力が)ついてきているんじゃないかなと思います」。

安達先生には研修中、心に残ったことばがある。それは「いざとなった時に命を救える医者」という言葉だ。救急の研修に入って間もなく、安達先生が指導医にどうして救急医になったのかを聞いた時に返してもらった言葉だそうだ。

患者の死に様々な感情がわき起こる

研修での印象に残る症例を質してみると、安達先生は「特定の患者さんではないのですが」と話し始めた。
北大病院は三次救急のために、心肺停止の患者が多く運ばれて来る。蘇生する患者もいれば、そのまま亡くなってしまう患者も多い。
安達先生は、家族が最後のお別れをしている現場に立ち会うたびに、いろいろな感情がわき起こるという。
「悲しいなと思うのは医療者としてどうなのかなとは思うんですけど」と前置きしながらこう言葉を紡ぐ。
「初めて接する患者さんですけど、でもその人の人生があって、家族もいて、色んな時間を過ごしてきたんだなって。家族と面会されたときに特に実感するというか。色んな感情がこみ上げてしまいます。患者さんと対応している時間はたった10分そこらかもしれません。心肺蘇生や、アドレナリンを入れているとかの短い間ですけどね」と安達先生。
蘇生しても意識のないまま植物状態で寝たきりになる患者も多い。またその時にも家族と今後の治療についての話しをしなければならないのだが、人によっては「そのまま治療を継続して下さい」という家族もいれば、「これ以上、体に負担になるようなことはやめてください」という家族もいる。
どの選択が正しくて、正しくないのかという結論はないが、安達先生にとっては、このような場面に遭遇するたびに、ウエットな感情を持つ自分に気づかされるのだと言う。
ある意味、医者としての未熟さを露呈しているのかもしれないが、別の見方をすればより患者・家族側に立った視点を忘れられない医者とも言える。

安達先生の今後の専門進路は現在、模索中だそうだ。
「今は何もなくて悩んでいます。お恥ずかしい話です。救急も、おべんちゃらじゃないんですけど、メリハリがあるので結構好きですし、麻酔科も全身管理できるので興味があります」。

最後に、後輩へのひとこと

「私は北大の救急しか回っていないから、北大の救急についてしか言えないけど、本当に先生たちが指導熱心なので、自分でこう考えてやろうとしてもバックアップしてくれるからいい研修になると思うんですよね。でも、その手技にしろ薬の処方にしろ、前もって自分である程度の予習は必要なんだなと実感しましたね。だから例えば中心静脈カテーテルやる時でも、何も知らない状態よりはちょっと予習とかして頭の中に入れてくれば自分に身に付くのは早いんじゃないかなと思います」。