今回も研修医ではなく、歯科口腔外科所属の13年目の歯科医師の田中先生のインタビューです。
北海道大学病院で働く歯科医師の救急研修が制度化され、田中先生が、その第1号として来られました。どの制度でも第1号は優秀なのでしょうが、田中先生も優秀な先生で、救急科としても色々とサポートして頂きました。
ベテラン口腔外科医の目から見た救急の実際をお読みください。
田中宗一先生プロフィール
- 1977年 北海道釧路市生まれ
- 釧路湖陵高校卒業後、日本歯科大学新潟生命歯学部に入学
- 2002年3月 同大同学部卒業
- 同年4月、北海道大学歯学部付属病院(現・北大病院)口腔外科入局。その後、同大大学院歯学研究科に進み、歯学博士取得。途中、大学院を休学して名古屋第一日本赤十字病院で約2年間研修を積んだほか、大阪大学で助教として3年間ガンの研究に勤しんだ。
- 現在、北海道大学大学院歯科研究科口腔顎顔面外科学教室医員
今回、ご登場の田中宗一先生は略歴の通り医師ではなく、口腔外科を専門とする歯科医師。今でこそ歯科医師の救命救急研修は、全国各地でごく普通に行われるようになっているが、法的な問題をクリアーする形で厚生労働省がガイドライン(2003年9月通達)を定めてからまだ十余年ほどの歳月しか経っていない。ガイドライン作成のきっかけは、市立札幌病院救命救急センターの研修で歯科医師が医療行為を行っていたことに対して、札幌市が告発。北海道警察による捜査が進められて、その指導医が医師法違反で起訴されて医療関係者に波紋が広がった事件による。
歯科医の中でも口腔外科は、腫瘍、外傷、骨折などでの全身麻酔による外科的手術を多く必要とする現場で、麻酔や患者の全身管理に加え、救急処置の能力が高く求められていたため、起訴・裁判を通じて賛否を含めて様々な反響がわき起こったことは記憶に新しい。
今回、北大病院の歯科医師が、同病院の救急科で研修を受けるのは、ガイドラインができてから初めてのケースになったという。
不純な動機で歯科医師を目指し、消去法で口腔外科医に
歯科医を目指した動機を田中先生は、「単純に嫌らしい話、儲かるかなと思ったんですね」と笑いながら答える。
元々、細かい物作りが好きで、手先を動かす仕事につきたいと中学時代から考えていた。ラジコンカーからガンダム、ボトルシップと、プラモデル作りは人よりもやっていたと述懐する。歯科医は手先の器用さを求められる職業の一つでもある。
「美術の授業などとかあるじゃないですか。飽きなかったですからね」。
高校では根釧地区でも随一の進学校に進んだものの、あまり勉強は好きではなかったという。成績は自身の言葉を借りれば「そんなには悪くなかった」そうだ。
そこで、高校に入れなかったら手先を上手く使う仕事に就いて稼ごうと思っていた田中先生は、せっかく高校に入れたので、手を動かす仕事に就くならば「歯科医が一番」と考え、新潟にある日本歯科大学新潟生命歯学部を目指すことに。
学生時代の様子をうかがうと、「サッカー、夜遊びだけですね。自慢できることは一つもしませんでした」と自分を飾ることもなく、一言でこう表現する。そして「最低限進級して、卒業するだけでした」と付け加えた。
卒業後、歯科医師研修を故郷の北海道で受けようと田中先生は、北海道大学病院を希望して口腔外科に入局した。歯科医師の臨床研修は当時まだ、努力義務でしかなかった時代。法的に義務化されるのは、医師の臨床研修制度から遅れて一年後の平成18年からである。
口腔外科医を目指すようになったのは、あくまでも「他に興味が持てなくて消去法です。特にやる気があったわけではないですね」。
あくまでも正直に話し、自分を飾らないところが、田中先生の魅力でもある。
手先の器用さも大事だが、より大事なのは治療のシミュレーション
歯科医は手先の器用さが必須に求められる。つまり腕の良さを問われるが「手先が器用にこしたことは無いが、ある程度慣れ」でカバーができるとし、器用さより大事なことは治療のイメージだという。
田中先生は「一番役に立つのは、頭でイメージしておくことです。全ての操作を全部、一から10まで頭でイメージしておいて、途中でつまるようなると先に進めなくなるので、ずっと頭で考え続ける。思った通りにシュミレーション通りに手が動くかどうかというところで、器用か器用じゃないかという乖離が出るのではないかと。僕は考えていれば勝手に手が動くんじゃないかなと、信じてやっています」と力を込めて話す。
口腔外科医となった田中先生は、主にがんの研究に力を入れているという。愛知県の名古屋第一赤十字病院や大阪大学で研鑽も積み、口腔外科手術例も豊富なベテラン歯科医である。
儲かるからと歯科医師になったものの、目論みは見事に外れたという田中先生は、「いつのまにか良い上司に巡り会って、いつのまにかガンの手術とか顔の骨折の手術とか引きずりこまれていき、私の想像していた歯科医師像にはまったくたどり着いていないんですね。変な意味じゃなく良い意味で。だからお金はないです」と凛として話す。
主たる研修の目的は蘇生で、歯科医師自らの裁量で医療行為をしてはならない
緊急性を要する重篤な患者の救命措置には、医師、歯科医師の区別は無いはずである。しかし、現実には2002年、市立札幌病院救命救急センターで経験豊富な口腔外科の歯科医師が研修として患者に医療行為を行っていたことに対して、その指導医が医師法に違反で告発される事件が起きた。医師法と照らし合わせて厳格に処罰を求めた検察に対して、被告となった医師は真っ向から対立。最高裁判所まで争われたが、「資格外医療」として罰金6万円の有罪判決が下された問題があった。
その問題が発覚して間もなく厚生労働省は、歯科医師の救命救急研修のガイドラインを定め、医師法に抵触しないように参加型の研修ができるように道を開いた。ある意味、厚生労働省はこれまで守ってきていた絶対的医行為論を時代の要請とともに撤回せざるを得なくなったと言っても過言ではない。
一方、裁判では歯科医師の救命救急研修(二審では参加型研修そのもの)の必要性を認めながら、実効性のある研修を否定する判決を下した。救命救急という問題を前にして、人の部位で治療の範囲を区別している現在の医師法で裁くことの難しさが浮き彫りにされただけでなく、参加型研修の重要性が広く認識されるようになったりした意義は大きい。
田中先生は、先の医師法で裁かれた事件について感想をこう口にする。
「良かったんじゃないでしょうか。ばっさり研修を受けてダメという判決ではなかったので、この業界(歯科医師)にとってはよかったことだと思っています。裁判がなければガイドライン自体もなくて曖昧な状態で。すごく、なんでこんなに早くやってくれたんだろう。もし、ガイドラインがなしだったら、曖昧な状態でこっそりと研修がなされていた事実、それぞれで問題が起きていたんですよね。だから僕はよかったんじゃないかなととっています。有罪判決を受けた医師には非常に申し訳なく思っていますが」
田中先生は、2014年7月から12月までの約半年間を救急での研修に費やしてきた。
その研修で身に付いたことや感じたことをうかがうと、開口一番、「取り立ててそれが無いんですよね。あっちゃいけなくて。僕ら歯科医師が、自分の判断、自分の裁量で何かの医療行為を下すことは無いのです。ここはすごく大事なところです。だから僕自身が困ったこと、いいこと、悪いことは基本的には無い、っていうのが正しいじゃないんでしょうか」と話し出す。
つまり歯科医という立場での救急では、基本的には気管挿管を含む二次救命措置の研修が中心となるためだ。
その目的は、バイタルサインの把握をして、ショックの診断を施し、さらに、基本的な二次救命処置ができて、専門医へ適切なコンサルテーションすることとなっている。
そうはいうものの、田中先生は、緊急性の高い患者さんに蘇生を実際に施す経験が多くできたために、「研修の目標がかなり達成できたのではないでしょうか」と話す。
普段、心肺蘇生の研修や講習会ではマネキンを使ってやることが多いという。一般の医者ですら心肺蘇生の機会は滅多にないと言われている。「それを実際の人間で見られ、行為としてすることもできました。その後、集中治療室でも治療が継続されて、良くなる人、あまり変わらない人、悪くなる人という病態を長い目で診られました。普通、そういうことはありえないんですよね。医者でも長くて2ヶ月の研修とかです。それをもっと長い目でみることができたので、そこが一番ではないでしょうか」と田中先生。
実際の研修では、特に戸惑いとかは無かったという。
「もちろん、知識不足は一杯ありました。勉強不足で分かっていないところとかですが」と説明して、田中先生は足りない部分を調べ直したり勉強し直したりしてきたという。
そのため初期臨床研修を受けている新人医師との、医療分野の違いによるハンディキャップはさほど感じなかったそうだ。
その理由として田中先生は臨床研修医よりも歳を取っていることと、現場の空気をよく知っていたことをあげる。
実は田中先生は大学院時代に休学して、愛知県の名古屋第一赤十字病院に2年間ほど武者修行に出ていたことがある。田中先生にはまったく無関係ではあったが、同じ北大病院内の口腔外科で手術を受けた患者さんが急変する事故にショックを受けたのがきっかけだったという。こうした患者を前にして何もすることのできないもどかしさ、無念さを感じたそうだ。
武者修行とは書いたが、田中先生は決して救急の臨床研修を受けていたわではないが、救急の現場、口腔外科の立ち回り方などを色々垣間見させてもらったり、医者と話しをさせてもらったりしながら、学んできていた経験も大きかったようだ。
一度だけ、歯科医という理由で救急臨床研修を拒否されたことも
ガイドライン上、歯科医師が救急の研修を受けている旨を患者に承諾を得る必要があるが、北大病院の救急は3次指定で多くが身元不明や意識がない状態で搬送されてくる。歯科医師という身分をどのように伝え、承諾をもらっているのか。
田中先生によると、北大病院の場合、包括同意の手法を用いているという。救急患者の搬入口に紙で張り出されており、それをもってして歯科医師が研修で医療行為を行うことができるそうなのだ。
その後、患者の意識が回復して話せるようになった段階、あるいは身内が現れた段階で、「歯科医師が研修をしているので」と承諾のサインを本人または家族から貰うようにしている。
「これまでに聞いた話では、一例だけ(歯科医師の研修に対し)承諾のサインをもらえなかったことがあります」と田中先生は話す。本人ではなく、家族の意向だったそうだ。
田中先生は「もっと(拒否する患者/家族が)いると思っていた」と口にする。
もし逆の立場で、田中先生が救急搬送されて歯科医師が診療していたとすると「僕は多分、嫌だなあと思います。疾患ごとに専門の先生に診てもらいたいという気持ちがある訳ですよね。歯科研修医よりは別の先生が分かっていらっしゃるわけですから」と本音を口にしながらも「承諾のサインはしないかといったらサインはすると思います」と目を見据えながら話した。
そしてその分、きちんとした医療を提供しなければならないという意識も強くなったという。
「自分だったらいやだと答えましたけど、それなりの結果を今後出さなければならない。ちゃんとした言葉で言うと、自分の患者が入院している病棟の患者の医療安全に寄与しなければいけないかなということでやっていますけどね」と田中先生。
よく考えていることの一つに、歯科医ながら救急患者が目の前に現れれば対応していくこと
特殊な空間の乗り物の中で急患が現れた場合に、田中先生は対応して行こうとよく考えるようになったという。
もし近くに医者がいるようならば「私が名乗り出るようなことはしない」と話しながらも、田中先生は「よっぽど急いだ方がよくて、なおかつ自分が一番近いところにいれば名乗り出るかもしれないですね」と付け加える。
「それでもし、誰かがあなた医者じゃないでしょうと言われたからといって、途中で止められますかというと止められない。やり始めたらやり続けます。できることはやります」。
こうしたことを考えるようになったのも、田中先生は「この半年間の研修があるからもったいないですしね。せっかく学んだことですし、黙っていたら絶対に忘れるんで」と説明する。
救急で覚えたことを現実に活かすためには、忘れないように維持して行く努力が必要なために、よく考えるようにしているのだという。
半年の研修で一番、田中先生が変わったことは「(救急患者を前にしても)ビビらなくなったこと。自信なんていうと専門の救急医に怒られちゃうので、言えませんが、冷静さを保ち続けられるようになったことです」と研修を振りかえりながら言葉を結んだ。