北海道大学病院 救命救急センター | 北海道大学大学院医学研究院 侵襲制御医学分野 救急医学教室

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研修医インタビュー [第10回]小舘旭先生

小舘 旭先生プロフィール

  • 1988年 北海道札幌市生まれ
  • 札幌南高卒業後、北海道大学医学部入学
  • 2013年3月 同大同学部卒業

ある患者の死をきっかけに、本格的な3次救急を勉強したくて北大に

小舘先生の写真

小舘旭先生は自身の将来を見据えて、主に救急医療の現場を中心にしたカリキュラムを選択して初期臨床研修に臨んでいる。一年目は札幌東徳洲会病院で、外科、循環器内科、消化器内科、総合診療部、麻酔科、救急センターと2ヶ月ずつ各科を渡り歩き医学を攻究してきた。
その札幌東徳洲会病院は札幌市の2次救急の要で、一日平均で約30台弱の救急車を迎え入れる。多い時には一日90台弱にも及ぶ。救急車の受け入れ件数は北海道随一、全国でも指折りの施設だ。
小舘先生は「救急が面白いというよりは、重症の患者さんを診る方に興味がある」として、徳洲会での一年目に救急医療の醍醐味に目覚めたと話す。
そこで初期臨床研修の2年目の4月からは、母校である北海道大学病院の救急での4ヶ月もの研修に挑むことにしたというのだ。
理由は、単純な「興味」や「やりがい」だけでなかった。
札幌東徳洲会病院の総合診療部での研修中、内科系のある患者が肺炎を併発して治療の甲斐もなく亡くなってしまったことがあった。総合診療部は指導医のアドバイスのもと、研修医が主体的に診る部署でもあったが、小舘先生は「もっといろいろな治療手段とかがあったのではないか」と自問自責を繰り返した。「集中治療のできる先生もそんなにいなかったし、ECMOなんかも、そんなに頻繁にまわせるところではなかった。それで助かったかどうかは分かんないですけど、もっと他(の治療方法とか)があったかもしれない」と、ICUも同時に勉強できる3次の救急で研鑽を積んでみたいと強く思うようになったのだという。

初めての当直で大事故対応。現場で寒さに震える夜を過ごす

いくら救急の研修を一年目に積んで来ていたからとはいえ、2次救急と3次救急では扱う患者の容態が違うことを思い知る出来事があった。
それは小舘先生が最初の当直についた4月はじめのことであった。
北海道の4月は暖かくなってきているとはいえ、東京でいう真冬と同じ。路面は夜になると凍り付き、路肩には、まだうず高く積まれた除雪の山が連なる。深夜、一本のホットラインが札幌市消防本部からかかってきた。ドクターカーの要請だ。ドクターカーに小舘先生とスタッフの救急医が乗り込み、一路現場に向かった。
右に左にとバウンスしながら揺れる車内で小舘先生は、気道確保のための挿管の準備を進めた。加速と減速が続く車内での作業は、慣れている者さえも手元が覚束ない。20分ほど経過しただろうか。現場に到着し、ドクターカーの後部ドアから降りると、数台の消防車が先着しており、赤色灯が辺りを照らしている。小舘先生は目を見張った。目線の先には、電柱に突き刺さったかのようにまっ二つに割れたツーリングワゴン車。そして、運転席には20代の男性がうなるような声を出しながら救出を待っている。意識状態の確認をすると同時に、足下をみると、ぐちゃぐちゃに砕けた足が見える。骨が肉を断裂して、血が吹き出し、出血性のショックを起こしている。
応急処置的に止血は行った。点滴の用意もした。意識がなくなった場合は、気管挿入する準備も万端だったが、患者の近くには、これ以上いることができなかった。ガソリンに引火する恐れがあったのだ。消防レスキューがカッターを使って車両を切断し、車内から患者の救出をするまで待たねばなかった。
事故車両から離れた場所での待機が続いた外は氷点下の世界。小舘先生は、病院を出る時に念のために上着を持ってきていたが、底冷えで震える。
結局、患者が救出できたのは到着から2時間後。時間的な余裕があったために、病院で待機している医師には携帯電話で患者の容態と状況説明ができていたために、搬送されてからはスムーズに初療室での大量輸血、整形外科医による手術を進めることが出来たという。
小舘先生はこの一件について、「とにかく何をしたか良く分からなかったですね。全然、何もできなかった。単にルートを取りにいっただけ。点滴しただけです」と振り返り、「でも、面白かったですよ」と3次救急のダイナミックさを素直に感じていた。

3次は入院後の方が大変。その分、全身管理が学べる

東徳洲会での救急の研修は名目上2ヶ月だが、ほぼ一年を通して救急に関わってきたようなものという。
救急研修中の当直は月に15回だったが、それ以外の診療科でも当直が月に8回もあり、必然的に夜間・休日診療に来る患者の救急対応に追われていたからだ。初年度の救急での研修期間中、一日で最大、65台の救急搬送に関わったこともある。
その時の様子を小舘先生は「何を診ていたのかあんまり記憶がないんですよ。脳出血の人もいたかな?アル中や薬物中毒もいたかも。兎に角、食事した記憶はあるんですけど、寝た記憶がない」と述懐する。
そうした体験も含め、今の北大での3次救急(救命センター型救急)はER型救急と何が違うかを聴いてみると、「3次救急は入院後の方が大変」と感想を口にする。
小舘先生は「ER型救急は患者が危険な状態かどうかを見抜くことがメイン。見落とすことはできないが、診療のシステムもできあがっていて、様子がおかしくなったらまた来てくださいですむ。しかし、3次は名前も病歴も分からない人が意識なく運ばれてくる。そうした患者の初期診療も大変だと思うけど、ICUに入院させて(容態を)落ち着かせるまでが難しい」と話す。
その分、全身管理が学べる良い機会でもあるという。
小舘先生は「最初、ICUで見たことのないモニターばかりでしたけど、今では僕は全身管理のやりかたが少し分かるようになってきた」と話す。
モニターを通じてアセスメントをどうしていくのかを考えたり、治療方法を考えたりすることができる。水の出し入れから投薬の種類など、さまざまな応用がわかってきたような気がするというのだ。
初年度には触ったこともなかったPCPS(経皮的人工心肺補助装置)の管理も少しは出来るようになったという。

集中医療の専門医への道を模索

現在、小舘先生は全身管理できる集中治療医になることに興味を抱いている。そのためには、麻酔か救急のどちらかの専門医になることが必要だという。今のところ小舘先生は「あんまり麻酔の方とは性が合わないような気がする。自分本位で治療が進められないところが辛い」と話す。救急の選択も「考え中」と話しながらも、思案している小舘先生であった。