北海道大学病院 救命救急センター | 北海道大学大学院医学研究院 侵襲制御医学分野 救急医学教室

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研修医インタビュー [第4回]平田甫医師

平田 甫(はじめ)医師プロフィール

  • 1986年 埼玉県和光市生まれ
  • 2013年 北大医学部卒業。現在、初期臨床研修中

曲折を経て医学部に

平田医師の写真

現在、北大病院の救急科で初期臨床研修を受けている平田甫医師は、ちょっとだけ変わった経歴を持つ。
高校卒業年の「現役」時代は福島県立医科大学を受験したものの、結果は不合格。奮起して一年間、受験勉強と格闘して、今度は北大の医学部を目指した。予備校の模擬試験では合格圏内のA判定。自信を持って受験に臨んだが、「サクラチル」(不合格)の憂き目を見た。平田医師は「絶対に受かる」と思っていただけに、それだけに「何でだめだったのだろうか」と思い悩んだという。
一方で滑り止めに早稲田大学理工学部を受けていた。そこは首尾よく合格していたので、平田医師はもう一年浪人するかどうかを考えたが、「せっかく大学に受かっているし、大学の空気を吸ってみたかったし」と早稲田大への入学を決めた。
少し遅い「春」がスタートしたものの、平田医師は大学にはうまく馴染めなかった。大学の特徴なのかもしれないが、付属高校から進学してくる学生が多く、その学生たちには入学当時からすでにサークルができ上がっていた。
そのサークルの人間関係にうまく馴染めなかったと同時に、仲間たちのモチベーションの低さが気になってしかたがなかった。
実習でも「どうしてこのようになるんだろうね」とクラスの仲間に問いかけても「そんなのどうでもいいじゃない」という反応に唖然と感じる日々を過ごした。
このままで果たしていいのだろうか。
自問自答して、導き出した答えは「医学部を再受験する」ということだった。

平田医師は医療関係とは関係のない家族の下で生まれ育った。受験時には姉が順天堂大学の医学部に通っていたが、別段、姉の背中を追う気持ちというものはなかったという。
医者を目指そうと思ったのは、漠然としながらも「人の命を預かる責任を伴いながら、自分で勉強してしっかり判断して、いろいろやっていかなければならない、面白い職業だと思ったから」と平田医師は説明する。
「それに、株が上がったり下がったりと一喜一憂するような仕事は、つまらなそうだ」と思って医学部を目指したというのだ。
早稲田大学の前期を終えて、再度、北大医学部を目指して受験に追われる日々が続いた。
北大に特に憧れのイメージはなかったが、花粉症に毎春悩まされていたので、平田医師は、「北海道は花粉症がないじゃないですか。それに東京住んでいると漠然と憧れのようなものがあったし、スキーとかのウインタースポーツも好きだったので」と話す。
曲折はあったものの「1浪半」の末に翌春、北大の医学部に合格することができた。

大学時代は医学部系の山岳会に所属し、小樽の赤岩でロッククライミングに汗を流したり、日高山脈を縦走したり、屋久島、東北の白神山地と山に夢中になった。
クラブ活動に精を出していたにも関わらず、留年することも無く卒業できたのは、厳しいクラブ顧問の医学部長がいたからかもしれない。
平日に日程を組んだ登山計画書をだそうものなら、呼び出しを受けて「授業があるのになぜか?」と問いただされたりもしたという。

救急では自分でプランニングする力が重要

平田医師の初期臨床研修1年目は産科を振り出しに、外科、内科、消化器内科、麻酔科を経て救急の研修に入った。
他科の研修では、患者の治療計画を自分で立てる試みをするのではなく、どちらかといえば担当医がプランを作ってくれるシステムだった。
担当医からの指示で動く、つまり受け身の姿勢でよかったという。
が、救急ではそうはいかなかった。自分で考え、診断して治療をすすめていくやり方。もちろん、間違い等あれば担当医が適切にアドバイスしたり、手助けしてくれたりするが、主体は常に自分にある。
救急に来た初日。科が変わればシステムや流れ方も変わるし、その都度、戸惑う場面に出会うことは多い。
しかし救急は、平田医師の心の準備が追いつくまで待ってくれない。それは患者が待ってくれないからだともいえる。
その初日、いきなり心肺停止状態で若い男性が運ばれてきたため、平田医師は、余計に「どうしていいのかわからない」状態で初療室に入り、ただ「先輩医師たちの様子を見つめるしか無かった状況だった」と思い返す。
北大救急は、診断、治療、診断と繰り返し、集中治療室で予後を見守りながら診断、治療と続くだけに、他科以上に自分で受け持ち患者のプランニングをせざるをえないというのが特徴だ。
救急で短い研修を受けただけでも、「現在、機内で急病人が発生しています。お医者様がご搭乗されていましたら…」というアナウンスに即座に名乗り出られる気持ちになれるのは、こうした日々の「診断、治療」という即座に自身で判断する経験を積めるからであろう。
インタビュー当時は、救急での研修も約一ヶ月目だったが、平田医師は「まだ、至らないところばかり。勉強することが山積しています」と話しながらも、「自分の担当以外の患者さんを、先輩医師がどのように対応しているのだろうかと、診る力を盗もうとしています」と努力を続けていた。またカテーテルや気管挿入などの手技の面白さを実感しているという。
急激に血圧が下がった患者をどう助けるかなど、平田医師は「もう何回も診て来ていますので本当に勉強になっています」と感想を話す。
さらに救急では月に7回前後の当直があるため、先輩医師たちと「マンツーマンで、しかも24時間指導受けられる」という魅力のひとつと答える。

嬉しい気持ちになれる時は、患者が快復するとき

3次救急は心肺停止など重篤な状態で患者が運ばれて来るだけに、意識が戻らず人工呼吸器を付けて転院していくケースが多いという。心肺の停止時間が長ければ長いほどどうしても脳にダメージを受けるためだ。その姿を平田先生は見るのが「辛い」と話す。
しかし、その逆に快復をしていく姿を見るのは「うれしい」と口にする。
印象に残った症例は救急での研修初日の患者。脳疾患をもつ10代女性で、心肺停止した状態で救急搬送されてきた。心肺停止の理由は「よく分からない」という。
平田医師は初日ということもあり、診る側ではなく治療を「見る」側だった。「初療室で心拍再開したんです。自分がそんなに関わってはいないんですけど」と前ふりを置きながらも、平田医師は「意識レベルはまだ低いんですけど、それでも最近はイエス・ノーの意思表示ができるようになった。実際に意識が戻ってくる人が少ないので、本当によかった」と身内のできごとのように嬉しがった。(その後、この患者さんは、しっかり会話も出来るようになり、更なるリハビリのために転院されていきました。)

自分で診断をして治療できる医師を目指して

医者になった当初は外科医への憧れも少なからずあった。直接治療する科に興味があったからだ。
しかし救急を含む他科での臨床研修を重ねていくうちに、「診断をつけて診療計画を立てることが重要ではないだろうか」と平田医師は気がついたというのだ。
外科は診断されてくる患者が多く来る。手術のプランニングは行うが「それはもう専門技の分野。もっとそこに至る前の段階をしたい」と。
平田医師は「(初めての患者を)自分で診療して、検査とかをオーダーして、来た検査結果から診断をして治療していく力が欲しいなと思ったのです。救急でそれを学んだといえれば格好いいのでしょうけど」と笑顔で答えた。
そのために平田医師は今春から、北大を離れて釧路労災病院の内科だけで、残り1年間の初期臨床研修に挑む。