伊原彩季先生プロフィール
- 1987年 北海道弟子屈町生まれ
- 2005年 北海道立札幌北高校を卒業
- 2006年 旭川医大入学
- 2012年 同大学卒業後、北海道医療センターで1年間の初期研修
- 2013年4月~ 北海道大学病院 先進急性期医療センターでの研修を開始
救急のリアルな世界は、映画やドラマとは違う。誇張もなければ美談もない。そこにあるのは、いかにして救急搬送されてきた患者の一命を取り留めて、社会復帰してもらうかを手助けする医師の地道な活躍だ。そのため医療の現場でありながらも、社会システムを支える縁の下の力持ち的な存在にもなっている。
北海道大学病院先進急性期医療センターは3次救急指定のため、残念ながら順調に社会復帰できる患者の数は相対的には、1次、2次の救急指定病院に比べると低い。会話のできる患者ではなく、広範囲熱傷、交通事故、窒息、その他の重篤な症状に陥り、意識なく運ばれてくる患者が圧倒的なのだ。一刻一秒を争う現場でもあり、ドクターカーやドクターヘリで現場に急行することもある。懸命な初療を行ったからといって助かるという確固たる保証はない。保証が無い分、救急医は知識と経験と手技が問われる。様々な診断方法や治療手技を駆使して最善の結果を生み出すことを求められる現場である。
その救急医療の世界に、伊原彩季が今年4月から挑んでいる。初期臨床研修医2年目の女性。黒目がちな瞳で、ICUで処置中の患者の容態をくっと見据え、モニター画面に示されるデータと比較する。無駄口を叩くタイプでは決してないが、時折、優しい声で「○×さん」と声をかけて意識レベルを確認し、看護師には笑顔で接する。辛い顔はめったに見せることがない。
救急の世界に飛び込むきっかけは、1年目の研修先で先輩医師が「北大の救急のICUが勉強になる」という一言。「集中治療ができる麻酔科医になることにも興味があったので」と伊原は話す。
研修医の多くは1ヶ月か、長くても2ヶ月で救急から別の科に移っていく。そのような風潮の中で伊原は3ヶ月間の研修を希望して救急の門を叩いて来たのだった。
その理由を伊原はこう説明する。「2ヶ月ですと、やっと仕事の内容が分かってきて楽しくなってくるころです。そして次の科に移らなければならなかったので、今回、もう少し理解を深められればと思い3ヶ月にしてみました」。
救急医療の世界は激務と思われがちだ。実際に月に7回前後の当直勤務がシフトとして入ってくる。朝の9時前から翌日の昼過ぎまで、3〜4時間ほどの仮眠で、急患の診断/診療は言うまでのこともなく、ICUや救急病棟の担当患者の診察や小まめな容態チェックの他、電子カルテの打ち込みや処方箋指示など様々な仕事をこなさなければならない。院内だけに留まらず、ドクターカーやドクターヘリに同乗して現場に急行する場合もある。ハードスケジュールな分、不定期ではあるが、月に一定数の休日が保証されている。
濃密な研修とも言えるだけに、学ぶべき事も多かったという。中でも薬の使い方と管理と、様々な手技だったという。
伊原は「手技は基本的なルート確保から中心静脈カテーテル挿入や胸腔穿刺、気管切開・挿入などで、管理は循環・呼吸の基本的な管理や水分の出し入れです。薬も他の科ではあまり使用する事が少ない、例えばノルアドレナリンのように即効性のある血圧上昇薬を使ったりして勉強になりました」と思い返す。
容態や色々な機器で示される数値を見て、どうやっていくのがベストなのかを考えることが面白かったともいう。
実務経験と自信を積む上で3ヶ月の救急という研修期間はそれでも決して長くはないのかもしれない。が、「航空機内で急患が出て機内放送で医者を求めていたらそれに応える事ができますか?」という質問に、伊原は「怖いながらも手を挙げてみせられます」と自信のほどを窺わせる。
そんな伊原でも医学生時代は、このまま医者になってもいいのだろうかと思い悩んだ。
「医者って人の命を預かる責任ある仕事じゃないですか。私には本当にそれが務まるのかなあ」と伊原は述懐する。座学だらけの授業にも途中でつまらなくなったともいう。また、研修一年目に大きなミスも経験している。中心静脈カテーテルで合併症を発症させてしまったというが、幸いにして大事には至らなかったものの、以下のように反省している。
「自分の手技ひとつで患者さんに大きな影響が出てしまう。やはり自分の一挙手一投足に責任を持たなくてはならないと感じました」
医大卒業後は母校の医局には残らず、北海道大学病院に籍を移した。伊原は「実家が(札幌市に隣接する)江別市であったことと、北海道大学病院にはたすきがけ協力病院で研修を受ける事ができる制度がありましたから」と理由を話す。そして1年目は北海道医療センターで麻酔科などの初期臨床医研修を受けてきた。
救急科で最も印象に残る患者と症例について「何と言っても、広範囲熱傷で敗血症を繰り返しながら、長期間治療を受けている患者です」と伊原は即答し、言葉を紡いだ。
「管理の方法が勉強になりました。患者さんには申し訳ないのですが、日々、いろいろな出来事が起こるんですよね。Septic shockになったり、水分の出し入れが難しくなったりしてね。抗菌薬も長く使っていると耐性ができてしまうので、どうしたらいいのだろうかと考えます。非常に勉強になります」
救急対応する動作や表情を見ていると、動揺したり迷ったりする部分を表面的には見せることがない伊原の性格のようだが、「やっぱり外傷患者さんが来たときは正直、怖いというか、ドキドキします」と心情を打ち明ける。
それでも急患は待ってくれない。ドクターカーで現場に先輩医師と急行したり、ドクターヘリの研修もこなしたりしなければならない。救急は診断と診療を同時平行に行っていく時間との戦いが大きな要素を占める医療の世界。北海道大学病院の先進急性期医療センターの救急科は、初期診療だけではなく、さらにICUも病棟患者も受け持つ。それだけに手技や管理、処方と実に多くの実務経験を一度に積める、研修医にとってはうってつけの場所ともいえる。それは伊原にとっても決して例外ではなかったはずだ。
将来進むべき道はまだ決めていないという。「すごく悩み中なんです。ただ、7月からは一ヶ月間、放射線科を学びます。その後は必修の地域医療実習で、地方の病院に行く予定です。精神科はいろいろな場面でかかわってくるので、そちらの方も研修で受けようかと考えていますが、その後はちょっと未定ですけど」と伊原は今後のことを口にしながらも、「応用力を身に付けたフットワークの軽い医師」を目標に日々研鑽を積んでいる。
(取材日時:2013年6月14日)