「高校時代から救急医を目指していた」という中嶋拓磨先生。旭川医大に入学後も、その思いは変わることはありませんでした。学生時代や研修医でのさまざまな体験も「救急医になるためには必要なこと」と考え、夢をかなえるために前向きに取り組んできました。プライベートでは学生時代からの愛車で音楽を聞きながらドライブしたり、自宅で映画を見るなど、一人でいる時間を大切にしています。中嶋先生の魅力を余すことなくお伝えします。
目立ちたくて指揮者に立候補! 脚光を浴びることに夢中だった小・中学生時代
すらりと背が高く素敵な中嶋先生。黙っていても存在感がありますが、小・中学生の頃は、かなりの目立ちたがり屋だったと言います。
「学級の代表などを決めるときは、真っ先に手を挙げて『僕がやる、僕がやる』と主張していましたし、合唱コンクールでは指揮者を買って出るような子供でした」
好奇心旺盛で、当時の趣味は切手集めや、天体観測など多彩。「悪く言えば飽きっぽい、よく言えば、いろいろなものに関心があるといいますか。今思えば救急医という複合的な医療を選んだのも、そういう性格が関係しているのかも知れませんね」
高校生のころから救急医を目指す
中嶋先生は高校生の頃から救急医を目指していました。しかしながら将来を決定づけるような大きな出来事があったわけではありません。「いろいろな患者さんと関われそうだ」と思ったことや、「なんとなく見ていた医療ドラマの影響を受けたのかも知れない」と言います。
当時は救命救急センターを舞台に、医師をはじめ、さまざまな医療関係者が命を救う姿を描いたドラマが人気でした。多感な時期でもあり、本人が気づかないうちに影響を受けていたのかも知れません。
進路を決めるときに教師から「理系から文系を目指すのは比較的簡単だけど、文系から理系に変えるのは難しいよ」と言われ、医師への想いをロックオン。医大を目指すための勉強に力を入れました。
中嶋先生の父親は会社員で、医系家族ではありません。「医師になる」という決意表明に両親は「やりたいことをやりなさい」と背中を押してくれました。「実は弟も医師になりたいと思っていたようで、今は消化器内科医になっています」。実家に帰ると「今回の術式は…」などと医療談議に花が咲くことはなく、ごく普通の会話を交わしているそうです。
高校のクラスの中にも、医大志望者が数人いました。現在の同僚である田原先生は高校3年生の時の同級生です。「当時は励ましあうことはありませんでしたが、今こうして同じ職場で働けているのは、お互いが頑張った結果なのかも知れません」と、かつての級友の存在を心強く思っています。
旭川医大に合格!新天地での生活が始まる
旭川医大に合格し、住み慣れた札幌から新天地「旭川」に移り住むことになりました。初めての一人暮らしに心はウキウキ。現在の愛車は、学生時代に購入したもので、時間があるとよくドライブに出かけていました。「食事はきちんと作ろう」など、規則正しい生活を目標に掲げ、最初は料理をしていましたが、次第に授業などで疲れていたり、買った方が早いことに気づいて、コンビニ弁当が中心になったそうです。
医大に入学後も救急に対する想いは揺るぎませんでした。「医大で勉強する中で、ほかに関心のある分野が見つかれば変更してもいいかなと思っていましたが、講義や実習を行っても、救急に対する関心が冷めることはありませんでした」と、歩みは止まりません。
医療現場への第一歩、医師臨床研修が始まる
将来の専門性にかかわらず、日常診療で頻繁に遭遇する疾患に適切に対応できる能力を身に付けるため、医大卒業後は医師臨床研修を行います。初期研修は市立札幌病院で行いました。見知らぬ街での研修の場合、地域に慣れることも必要ですが、地元での研修は精神的負担が軽減されます。中嶋先生は大きなアドバンテージを得て、さまざまなことを吸収します。
「市立札幌病院の先生は親切な方が多く、外科系や循環器系の研修も楽しく行えました。他の診療科の先生に『救急を希望しています』というと、少し冷たく接せられるのかなと思っていましたが、まったくそんなことはなく、『これを覚えておくと将来役に立つよ』などと言って、丁寧に指導してくれました」
最初はつらい日々になると覚悟していた研修でしたが、多くの指導者に恵まれ、あっという間に時間が過ぎていきました。
2022年春 再び北大病院救急科に現る
中嶋先生は市立札幌病院で初期研修を行った後、2020年に北大病院救急科、2021年に市立札幌病院救命救急センターを経て、2022年には研修医とは違う立場になって北大病院救急科に戻ってきました。前期研修では新人の立場でしたが、3人の後輩を得て、ちょっぴり兄貴分的な立場に。
「前期研修の時と今では、まったく立場が違います。やはり後輩ができたことは大きいです。自分が先輩からそうしてもらったように、後輩に教えるだけではなく、自ら学習するようなキッカケを私自身が作ってあげないといけません。後輩がいるのといないのでは大きく違います」と言って気を引き締めています。
患者さんとは一期一会。殺伐とした現場だからこそ優しくありたい
救急科には、意識がもうろうとしていて自ら症状を話すことができない患者さんが搬送されることがあります。緊迫した空気の中で、どのようなことを考えて治療にあたっているのでしょうか。中嶋先生はこう答えてくれました。
「救急科の患者さんは外来などと違って、ほとんどが一期一会です。急患が搬送されると現場は殺伐とした雰囲気になりますが、そんな状況だからこそ、意識が低下していても声を掛けながら処置するなど、患者さんに寄り添った対応を心がけています」
「殺伐とした現場だからこそ優しくありたい」、「常に人間の尊厳を大切にしたい」という中嶋先生の気持ちが伝わってきました。
「現在はチームの中で先輩ドクターの指示を受けながら処置にあたっていますが、緊張感のある状況の中で先輩方の動きを見ることは、とても勉強になります。知識があり、経験も重ねたうえで、常にアップグレードする姿勢を見ると『自分もその領域にたどり着きたい』という想いがこみ上げてきます。今年が後期研修最後の年なので、救急専門医を取得したうえで、集中治療や外傷など専門分野を極めて行きたいです」と、今後の抱負を語ってくれました。
中嶋先生のプライベートタイム
緊張感のある毎日を過ごしている中嶋先生ですが、休日はリラックスした時間を過ごしています。
「一人で行動することが多く、洋楽やB’zを聞きながらドライブをしたり、大好きな肉料理を食べに行ったり、スーパー銭湯に行くこともあります。外出するほど時間がないときは、自宅で映画を見ています。ディズニー系の映画はほとんど網羅しました。ワイルドスピードシリーズも好きです。新型コロナウイルスの影響で遊び方も変わってしまいましたが、はやくみんなで楽しめる日が来てほしいです」
救急科はさまざまな疾患を診られるところに楽しさがある
最後に進路に迷っている若きヒポクラテス候補に、救急の魅力を伝えてもらいました。
「救急科はさまざまな疾患を診られるところにやりがいがあると思います。内科的な病気もあれば外傷もあり、その中でも急性期医療に携われる機会もあります。救急での知識が役に立たないことはないので、将来的に違う診療科を目指している人も、何らかの形で救急に興味を持ってほしい。ここでの経験が必ず役に立つと思います。他の先生方も、それぞれの考えがあったり、時には迷いながら目標を定められたようで、相談にも乗ってくれます。物事に対して幅広く興味を持っている先生が多いので、学べることはたくさんありますよ」