「小さな頃からお医者さんになりたかった」という田原就先生。小児科医である父親の背中を追ったのではなく「自分なりに医師と言う職業に使命感を持っていた」と言います。初期研修を終えて飛び込んだのは北大救急科。次々と患者さんが運び込まれる中、「これで正しいのか」「もっとできることはないか」と日々研鑽を積んでいます。プライベートでは、サカナクションのライブで盛り上がったり、奥様と一緒にゲームを楽しむなど、仕事を忘れてリラックスすることも。田原先生の魅力を余すことなくお伝えします。
「将来の夢は患者さん」と発表して笑われた幼少時代
いかにも好青年の田原先生ですが、幼少の頃はちょっと変わった子だったと言います。「釧路で生まれて小学校のころに札幌に転校しました。小さい頃は落ち着きがなくて、黙って座っていられない子どもでしたよ。両親も手を焼いていたのではないでしょうか」と笑います。幼少から医師になる夢を描いており、幼稚園の頃に間違って「将来の夢は患者さん」と発表してしまい「それはやめておいた方がいいよ」と突っ込まれるなど周囲の笑いを誘ったこともあるとか。明るい人柄を彷彿とさせるエピソードを披露してくれました。
医学部入学と父親の存在
高校生で進路の岐路に立ったときに「人に何かを教えるのも楽しそう」と思い、医師か教員かで迷った結果、「人の役に立つ仕事がいい」と、医学部の受験を決意しました。父親の影響はあまり受けていないと思いますが、父親の存在によって医師と言う職業が身近に感じていたことは確かです。父親は病院に泊まり込むことが多く、週に数回姿を見かけるかどうか。あまり家に帰ってこない人でした。今は自分が大学に入り浸って、父親と同じ生活になっていますね(笑)。
晴れて北大医学部に合格しましたが、「医学生のころは大好きなテニスに熱中しすぎて、あまり真面目な学生ではありませんでした」と照れ笑い。「部活動から学んだことも多い」と涼しい顔の田原先生とは裏腹に、「留年するのではないか」と、まわりの人たちをヒヤヒヤさせていました。「医学を学びたいと言うより、お医者さんになりたいという気持ちの方が強くて」と言う田原先生ですが、「医学生のころに聞いてもピンとこなかった話でも臨床の現場では理解できた」と言います。医学と臨床はそれぞれ独立したものではなく、同直線上にあることに気づき、「学生の頃に真面目に講義を聞いていたら、もっと面白いことに出会えていたかも」と反省しきり。只今勉強をやり直している最中だそうです。
初期研修の体験により救急科入局を決意
大学を卒業して2017年から2年間、市立函館病院で初期研修を行いました。「研修は順風満帆でしたか」という質問には「失敗ばかりでしたが、救急医を目指すことになる二つの苦い経験をしました」と言い、当時の状況を振り返ってくれました。
初期臨床研修が始まって数か月のこと。医師としてスタートを切ったばかりでやる気満々。早朝から病棟の回診を行っていると看護師さんから、前日まで元気で退院予定だった患者さんが「突然意識がなくなっている」と報告を受けました。血圧や採血などを調べると様々な異常数値を示しています。上司に連絡して対応を行いましたが、原因がはっきりしないまま2日後に亡くなってしまいました。「救急科は一瞬で状態を判断して対応するのが強みですが、その時は若かったせいもあり、思ったように動けなくて」と田原先生。ほろ苦い思い出として心に残っているそうです。
初期研修期間に北大救急科で約1ヵ月勤務したこともあり、その時も衝撃的な体験をしました。陣痛が始まったものの、病院に着くまでに自宅や車内で産まれてしまう墜落産の連絡が入り、川原先生(第18回登場)と一緒にドクターカーで現場の自宅まで出動しました。赤ちゃんは心肺停止。その場で蘇生を試みたものの、対応は困難を極めました。お母さんはショックを受けており、周りは血だらけ。「これが救急の現場なのか」と強烈な記憶となって残っています。進路を循環器内科と救急科で迷っていましたが、帰り際に川原先生に「救急科に入局しろよ」と勧められたり、ほろ酔いのH先生からも電話をいただくなどお誘いを受け、その頃に北大救急科の入局を決意しました。
「本命の循環器内科ではなく、救急科への入局は不本意ではありませんでしたか」と意地悪な質問をぶつけてみると「まったく後悔はない」と言い切ります。
「救急科は様々な症例の患者さんを診なくてはならないので、その時々で学ぶべきことが多く、たくさん経験するには最適な環境だと思います。教員になりたかった気持ちもあるので、救急外来などで後輩への教育的な関わりができるのも楽しい」と、充実した日々を過ごしています。
救急の重責が命を救うための原動力に変わる
救急科の患者さんは瀕死の重傷で来ることがほとんど。その重責、難しさやスキルアップ方法について伺いました。
救急の現場は、さまざまな症例に対応しなくてはなりません。かかりつけ医なら原因がわかるでしょうが、初対面の私たちは情報が少ない中での治療になるので、できる限り患者さんから話を聞いたり、家族の方から普段の様子を伺ったりするなど、多くの情報を集めて適切な処置をするよう心掛けています。
スキルアップとして、1度来た患者さんについては極力振り返りをするようにしています。
また、重症患者さんのうちには心臓発作や心筋梗塞による突然死も多いですが、ご家族に「昨日まで元気だったのになんで亡くなったのでしょうか」と聞かれても、うまく答えることができないのが重責というか悔しくて。適切な知識と技術を持って、そういった方々に寄り添える医師でありたいと思っています。
先輩と同僚の想い
職場について田原先生は「救急科はとても働きやすい」と言います。人間関係の良さや、自由でありながら個々を尊重するところ、困ったときは、すぐに上司や先輩が手を差し伸べてくれるところが素晴らしいと賞賛しています。先輩と同僚についてどのように思われているのか尋ねてみました。
経験を積んだ先生の見通しは凄いですね。例えば入りたての頃、頭をぶつけて意識を失い昏睡状態になった患者さんに動揺していると、先輩方に「じきによくなるよ」と言われました。本当にある日を境に記憶や言葉がみるみる回復して驚きました。今後の見通しだったり、状態が悪くなる前の嗅覚だったり…。先生方の頭には教科書には書いていない知識が詰まっていて本当に尊敬しています。
先輩方は臨床・研究・教育もバリバリ行っていて、口をそろえて「救急は楽しい」と言います。常に症例が異なる患者さんが搬送されるため、経験豊かな先輩でも予想していないことが起こることもあるそうで、それが臨床のやりがいであり、疑問があるから研究につながるとおっしゃっています。古いやり方ですが、そういった先輩の姿を後ろから見て勉強させていただいています。
同僚の高橋先生は医学生時代に同じ実習班で学び、初期研修期間も連絡を取り合っていた仲です。まさか同じ職場になると思っていませんでした。高校の同級生もいますし、後輩も数人入局しました。忌憚なく話せる人たちが多く仕事がやりやすい環境です。みんなでボルタリングに行ってみたり、脱出ゲームや雪合戦をしたりなど、プライベートでも楽しい付き合いをしています。
救急のスキルはどの科でも活かせる
救急を目指す研修医、医学生に向けて最後にこんなメッセージを口にしました。 初期研修の時に学びきれなかった急患対応をもう少しだけ勉強したいとか、わからなかった全身管理をもう一度学び直したいという人にはぜひ救急科の入局をお勧めします。僕自身も現在は救急科で知識と経験を積み重ねていますが、ゆくゆくは重症の心臓病や集中治療に携わる医師になるために、今後はもっと循環器系に重心を移していきたいと思っています。救急のスキルはどの科でも活かせます。違う科に移動しても慌てずに適切な対応ができるよう、救急科で腕を磨いてください。