医者になる動機は人によって様々だが、本間慶憲先生は救急医を主人公にしたテレビドラマがきっかけだったと話す。しかし医者への道ははるか遠くにあった。入り口にたどり着くまでに4年、そしてようやく第一歩を踏むまでにさらに8年の歳月がかかった。憧れの救急医。しかし初期臨床研修2年目の「救急」を受けると想像以上にハードな現場だった。覚えることも多く、ミスもあった。3ヶ月の研修期間ながら「疲れ果てて無理」と救急医を一旦は諦めたという本間先生。しかしその後の研修で、内科医になっている自分の姿がどうも思い浮かべられない。それなら後期臨床研修であと1年だけ頑張って見ようと、北大救急の門を再び叩くことにして、改めてこの世界に飛び込んだ。
以来、救急の水にも慣れて間もなく医者10年目を迎える。
本間先生にとって救急とは「携わっている限り100パーセントの満足を得られる現場ではない。常にああした方が良かっただとか、こうした方が良かっただとか、もっと何かできることがあるのではないのかと、頭を悩ましながら四六時中考える現場」と表現する。医者になっていなかったら「格闘家」と笑う。
そんな本間先生から救急の魅力などの話を聞いた。
足掛け12年、ようやく救急の道にたどり着く
自分の進路に明確な意思を持って受験している人は実はわずかしかいない。多くは「希望」とか「偏差値」に見合っていたとかで受験に臨む。
本間先生もそうした一人で、北海道にある国立の工科系単科大学を受験した。しかし合格して入学したものの、何か自分にしっくりしたものが無かった。そのため入学式にすら参加せず、キャンパスライフも実感することなく退学という道を選んだ。
本間先生は当時を振り返り「中身もなくただ受験しましたという学生だったんです」と口元を緩める。
それからしばらくフリーターのようにフラフラした時期を過ごしたという。「結局は遊んでいた時期でしょう。世間的にはそこら辺のたむろしている兄ちゃんみたいな生活を送っていたんですね」と本間先生は笑う。
そんなある日のこと。テレビで医者を主人公としたドラマを目にした。積極的に見ようとしたわけではなく、たまたまスイッチがオンになっていて放送されていたので、何も考えることなく観続けた。ドラマは江口洋介、松嶋菜々子演じる「救命病棟24時」。
しかし、この何気無いことが本間先生の将来を決めることとなった。救命救急センター外科医という役を俳優江口が演じていたのだが、救急医をかっこいいと感じてしまったというのだ。いつ・どこで見たのか、本間先生の記憶は曖昧だ。記憶の糸をたどってもらうと、大学を辞めたその年はフラフラしていただけ。2年目には「さすがにまずいかも」と札幌の大学受験予備校に通い、同予備校の寮で暮らしていたという。しかし「特に行きたい大学もあるわけでもなし」と受験勉強らしきことはほとんどしていなかった。
「救命病棟24時」を観たのはドラマがスタートした、2浪目の冬だったのかもしれない。「医者」という明確な目標ができたものの、受験はそう簡単なものでは無かった。遅れを取り戻そうと必死になったが、国公立は厳しかった。4浪目でようやく私立大学の医学部に補欠ながら合格することができた。
とはいうものの、医者への道は本間先生にとって「山あり谷あり」。医師国家試験をパスして「医者」と名乗れるようになるまでは、それから8年の歳月を必要とした。
一度は救急の道をあきらめかけた
「面白いというよりもカッコいいというモチベーションでこの世界に入り、救急を目指しました」と話す本間先生は、初期臨床研修中に救急医への憧れを一度、気持ちの上で捨てたことがある。
「たすき掛け」という制度で一年目は市中の病院で消化器内科を中心に研修をつみ、2年目は北海道大学付属病院で救急などのローテに入った。その救急ローテ。3ヶ月で本間先生はほとほと疲れてしまったという。
「すごく疲れちゃって。大変だし。これは無理だ」と本間先生は思った。
救急の研修はある意味容赦ない。他科のローテと違い実際に治療や診断の機会が多い。覚えるべき救急対応の医学も広範囲に渡る。宿直も多く、泊まり明けのカンファレンスにも厳しいツッコミが飛んでくるため備えは欠かせない。
本間先生は憧れの救急医もここまでと思ったが、その後の循環器内科のローテーションである二つのことを感じたというのだ。一つは内科医として働く自分の姿が想像できないこと。もう一つは救急が医者としての自分を少しずつでも伸ばしてくれたこと。
本間先生は「初心に戻るというわけではないですけど、救急をやっている自分にしっくりきた。充実もしていた。それならば今後やれるかどうかわからないけど、とりあえず一年やってみよう」と後期臨床研修で再度、救急の門をくぐることを決意した。
実際に後期臨床研修で一年間、救急で過ごしてみると「何とかやれた。けど、救急のことが全部一人でできるのかというとまだまだ。逆に何もできない自分にようやく気がついたという感じでした」と本間先生は話し、言葉をつなぐ。「じゃあ、もう一年やらせてくださいとお願いして、どうせやるんだったら専門医になろう」と救急の道で生きていく決意を固めたのだった。
主治医になって初めて先輩たちの指導のありがたみを知る
救急の難しさを質問すると本間先生はこう答える。「やはり患者急変時にちゃんと対応できるのか、できないのか」。
医者を目指した時にでも、それがたとえ救急でなくても対応できる医者になりたいと思っていたという。しかし実際には救急に入りたての頃には患者急変時に「テンパってしまって。ビビって動けなくなった」ということを本間先生は経験している。急変時の対応もさることながら、それに対処できるための勉強も大変苦労した。
「どの分野もたくさん知ってなくてはいけないし、他科の専門医とちゃんと会話ができるレベルの知識も持っていないとダメです」。
体で覚え、頭でも覚える。「でも頭だけで覚えていても実際に動けなくては現場に対応できません。じゃあ、動けたって頭を使わないとミスやトラブルになる。昔は体を動かしてさえいれば、やっていた気になっていた気で本当はそうではない。独り立ちできるようになって救急の難しさがわかってきました」と本間先生は苦笑いする。若い頃には先輩の言う言葉を「単に『うるさいな』としか思っていなかった。しかし責任とプレッシャーを感じる(市立砂川病院の)主治医になって、ようやく先輩たちが大事なことを言っていたんだ」と感じた本間先生。
処方によっても違う薬のリスク、症状や病状によっては今後起こりうることを想定する大事さなどを、先輩医師は雑談のように患者をベッドサイドで診ながら指導してくれていた。本間先生は「うるさいな」と思いながらも、先輩の言葉をメモにしてノートにまとめていた。
後期研修2年を無事に終え、市立砂川病院で主治医を務めるようになってから、一人で現場対応していると先輩たちの言葉が身に沁みてわかるようになってきたのだと言う。
救急医の心がけは、雑にならないことと最悪の事態を想定すること
救急の現場に立ち続けるために心がけていることが2つある。それは最悪の事態への備えと雑にならないことという。
本間先生は話す。「常に心がけていることはやはり救急の現場でいる限り最悪の事態を想定しながら準備して患者を診ていることです。最悪な場合にはどう動いて準備しなくてはならないかなど想定していると、対応できる。もちろん想定外のこともいっぱいあるのが救急なので、そういう時は大変です。あと月並みですが雑にならないことです。もちろん大胆さも必要で、攻める時は積極的な治療をしていかなければなりません」。
本間先生は患者とスタッフへの心配りも忘れていない。
「患者と周りのスタッフに常に助けられています。信頼をしっかり得られるようにしています。みんながどう思っているかはわからないけど、、、、」。
印象に残る症例は小児悪性リンパ腫で助けられなかった命
救急には様々な患者が運ばれてくる。それは悪性リンパ腫に罹患した子供だっている。
救急は癌専門でもないし、癌制圧まで面倒を見ることはできない。それでも縁あって出会った少年癌患者を助けられなかった思いもあり、印象に残る症例として「強いてあげるとすれば」と本間先生は口を開いてくれた。
市立札幌病院から12歳の少年が転院搬送されてきた。悪性リンパ腫が急変して、呼吸不全に陥ったためだ。そのままICUで化学療法を取り入れながらの治療が施された。腫瘍の進行は早く、血液内科の専門医と一緒に診ながら対応をしたものの、制圧までには至らなかった。
が、少年の回復は早く、呼吸器も外れちゃんと会話もできるまでにそう時間はかからなかった。しばらくして「先生、ありがとう」と言いながらICUを出て病棟に戻っていく少年の後ろ姿を見送った。
運命の神が仮にいるとすれば、その神は少年をすぐに見限ってしまったようだ。
元気そうに見えた少年だったが、体内では悪性リンパ腫が進行と増殖を続けていたのだ。若いためにその度合いは残酷なほど早い。病棟に戻ってたった1週間。少年は2度と息をすることができなくなった。見守ってきた家族の嗚咽が病棟に響いた。
本間先生は「よくしてあげられなかったことの方が記憶に残りますよね」と話す。本間先生にとっては相当に凹(へこ)む出来事だったようだ。「凹んだという一言では言い表せないです。何もできない、何もしてあげられなかった。一回よくなったように見えただけに、、、、、。自分の力不足を痛感しました。ダメな時はダメと割り切るのは大事なのかもしれませんけど」。
何科の医者であっても救急のスキルは重要
医者である以上は患者急変時に対応できる医者になりたいと思っていた本間先生は、救急を目指す研修医、医学生らに向けて最後にこんなメッセージを口にする。
「何科の医者であっても救急のスキルを持っていた方がいいと思います。初期臨床研修で別に救急を取らなくても、また取る気はないという先生に対しても、そういう大事さは伝えています。世間一般から見ると医者は医者。『僕はこの科なので対応できない』という目では見てくれない。だから急変時にしっかり対応できるように研修を積んでほしいなと。それは常に言い続けています。あとはまあ、救急をやろうと考えている先生がいるならば、大変かもしれないけどチャレンジする気持ちを忘れないで、志があるならばここの門を叩いて一緒にやっていければいいなと思っています。そのためのサポートは惜しまないでいます」。