救急の専門医を目指して今年4月に北大の救急の門を叩いた定本先生は「心臓があるものならカエルから人間まで」が守備範囲と笑顔を見せる。
まだ医者になって3年目で立場的にはまだまだ修行中の身ではあるが、救急医療を担う若手のホープとして高く期待されている。
どういう話しが出てくるのか。今回もじっくりお読み下さい。
獣医から医者に
ガンの研究をしたくて
定本先生は獣医でもあり、心臓のついているものなら何でも診療できる。医療の道に初めて踏み込んだのは獣医だった。北の大地への憧れと、学生時代過ごした広島県の実家から遠く離れたところで過ごそうと北海道大学を選んだ。
2004年北海道大学獣医学部を卒業、札幌市内の動物病院に勤務し、2年半で医学部を目指そうと決意する。そのきっかけは「ガン」だったと言う。
「医療が進んで動物も高齢化が進んでいます。そうするとガンやリンパ腫といった病気が多いんですね。特に小動物のガンではリンパ腫が珍しくなく、抗がん剤を投与すると劇的に効いたりします。またはその逆だったりもした。そのような症例を診ていくうちに、もっと長生きできるようにならないものかと思い、ガンについて研究したくなりました。」
はじめは大学院に入ることも考えた定本先生だが、獣医学ではガンの研究が少なく、自分がやりたいことを思いっきりやるには医師免許が必要となり、医学部へ切り替えたという。
「ガンの研究だけでなく、ガン治療に携わりながら成果をこの目で実際に見ていきたい、ということを考えると必然的に医師免許が必要でした。学士入学という方法もありますが、私が動物病院を辞めて医学部を目指そうという時には締め切りが過ぎていたんです。次年度を1年間待つ前に、普通受験してみようと思い、半年間受験勉強に集中し、受験しました。」
獣医とは言え、決意してからたった半年間で医学部への合格を果たすほどの集中力には驚くばかりだ。結果、医学部を決意してから最短の2013年に医師免許を取得した。医学部生時代は歯学部血管生物学教室に身を置き、当初の目的でもあったガンについて、腫瘍血管を中心に研究を行っていた。
「獣医学部の頃は部活(サッカー)もしていたし、バイト先の友人と遊んだりしていましたが、医学部学生時代は研究ばかりでしたね。授業以外は研究室に篭っていました。ガン学会にも何度か連れて頂いたり…。あとは生活費のためのバイトだけでした」と当時の研究熱心ぶりをみせる。
ガンの研究のはずが、気づけば救急の医者に
救急だからこその達成感を知る
熱心にガンの研究をしていた定本先生が、なぜ今は救急専門医なのか、その経緯を伺ってみた。
初期臨床研修は勤医協中央病院。各病棟の当直担当時に救急研修以外でも救急車には縁があったと話す。研修も1年半が過ぎようとしていた頃には救急専門医を目指すようになっていた。「もともと救急医療に興味があって、ドラマ『コードブルー』が好きで見ていたのも影響していたのかな?」
そんな折、地域実習で根室にいた時に早川先生からまずは救急の説明会に来ないかと電話があったそうだ。
「わざわざ根室までお電話を頂いて、覚えていてくださったんだ、とびっくりしましたよ。嬉しかったですね。」
6年生の選択実習では、色々と経験も積めて勉強になるという勧めもあり、救急を選択した。その1ヵ月半の実習で早川先生にお世話になっていた経緯がある。その後、初期臨床研修時代に年に数回、各病院の救急医が集まり、数々の症例を出し合う札幌救急カンファレンスに出席した際にもお顔を拝見していたようだ。こうしてみると学生の頃から「救急医療」を意識していたことが伺え、今、救急専門医を目指しているのも頷ける。
早川先生の勧めで出席した救急説明会で、和田先生、方波見先生、小野先生に初めて会って話を聞く中、北大救急は若手を考慮して様々な取り組みを行っていることに好感を持った。これも北大病院に決めた理由の一つと話す。
「勤医協の救急はきついとか辛いと感じることがなく、嫌がる同僚もいなかったですね。ただ、ER型なので、初期診療に重点が置かれていて、運ばれてきた患者さんの方針が決まれば病棟へ、対応出来なければほかの病院へ入院して頂くといった形です。でないと、すぐに満床になってしまい、次に運ばれてくる患者さんの受入ができなくなってしまう。出来るのなら運ばれてきたときだけでなく、回復していく経過を診ていきたいというのが、三次型の北大救急を選んだ大きな理由のひとつでもあります。」
熱心にしていたガンの研究は?と聞くと、研究すればするほど謎は深まり、治そうというよりも長く付き合わねばならないものだと自分なりの結果を出してしまってからは熱意が冷めてしまったらしい。一方で循環器内科に興味があり、救急にするか循環器内科にするか随分迷ったと言う。
北大救急に入って1ヶ月が経過したばかりだが、循環器と外傷についても深めていきたいと考えているそうだ。
「さっきまで元気だった人が交通事故などで、突然心肺停止になって運ばれてきます。それでも、ここでの治療次第で回復して元気になり社会復帰していける。救急に入ってからそのような患者さんを多く見ていると、救急を選んで良かったなと思えるし、今までにない達成感に気づきました。」
消極的な自分を変えるチャンス
独り立ちのきっかけ
勤医協独自の「独り立ちシステム」がある。ある時期に来ると、独り立ちの希望を取り、模擬面接を通して総合的に評価を受けて独り立ちの時期を決めるシステムだ。定本先生は、はじめは独り立ちしないと宣言していた。
「もともと消極的な性格なので…(笑)。自分は上の先生と一緒にずっとやっていこうと思っていたんです。」
その独り立ちするかどうかの時期に当直で患者さんを診察。心電図や症状から「A」という疾患では?と思い上司に相談したところ、血管造影検査は行わず、入院経過観察の方針となった。次の日、採血してみたら異常が見られたため、血管造影検査となり、「A」であったことが判明した。典型的な経過でなく自分なりの診断だったけど、上級医は別の判断のため入院で経過をみたら結果的に自分が正しかったということがあった。
「あの時点でわかったとしても治療方法や容態が大きく変わったわけではありませんでしたが、自分で責任を持って診断することと、積極性を持つことの大切さに気付かされました。上の先生に付いて指示を仰げばいいというのはある意味、責任逃れだったのかもしれません。」
そのことがあってから、一度はしないと宣言した「独り立ち」をしたと言う。
「北大救急ではどんどん積極的にやっていいと言われていますが、この1ヶ月は設備もシステムもわからないことばかりでした。やっと慣れてきて、積極的に動くようにしています。積極性は自分の課題でもありますから(笑)」
後輩へのメッセージ
三次型の北大救急では、他の市中病院では受け入れることのできない患者が多く運ばれてくる。特に外傷、熱傷患者を初めて見た時はとても驚いたそうだ。それでも一命を取り留め、回復していく様を目の当たりにすると、救急医としての達成感が得られるという。
「現代の患者さんは一ケ所だけでなく、あちこちに持病がある場合が多くなってきました。救急は全身について学べるので、どの専門医になるにしても、まずは救急を勧めたいです。大は小を兼ねるではないですが、三次型の北大救急をこなせればどこに行ってもこなせると思います。」
北大救急に来てからというものは、今まで知らなかったことが多く学べ、診断や治療の選択肢が広がっているのを肌で感じていると言う。学生時代くらいは遠い北の大地へ、と言っていたが、すっかり北海道に定着し、北海道の地域医療について展望を語ってくれた。
「医療が北海道全体で発展していけたらいいですよね。病院を超えての情報交換や治療法、設備の導入などしながら…。札幌救急カンファレンスで時折いいなと思うのが、病院問わずディスカッションが行われることですね。特に若手の先生たちに、そういった情報交換の場を設けていければ興味を持ってくれる先生も増え、病院も発展し、地域全体で発展していけると思います。」