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臨床研修

研修医へのインタビュー - 鎌田千奈美先生

「子供の未来を救いたい」という憧れから医者を志した鎌田千奈美先生。大学の長期実習で救急医療の魅力に引き寄せられてからは、すべての人の未来を救いたいという願いもあり救急医を目指している。
北海道の医療に貢献したいという思いも強く、初期臨床研修で選んだ先は市立函館病院。同院の救命救急センターの研修から救急医への一歩を踏み出した。他院での研修可能の制度を利用して2018年夏、北大救急で研鑽を積んだ。
その在札中に鎌田先生から救急の魅力などお話を聞いた。

鎌田千奈美先生プロフィール

  • 1992年 札幌市生まれの道産子
  • 札幌北高を卒業後、北海道大学医学部医学科入学
  • 2017年 同学部同学科卒業後、市立函館病院で初期臨床研修

小児科希望から救急へ、進路変更は「軽い気持ち?」

鎌田先生の写真

鎌田先生は今、強い意志で救急医を目指しているが、大学時代に志していたのは小児科医だった。中学生の時に何気なく小児科医医者の世界を描くドキュメンタリー番組を見て感銘を受けたからだという。
その当時、健康に生まれ育った鎌田先生は病院とは無縁の世界を過ごしていて、テレビのドラマとかの医者像くらいしか持っていなかった。ドキュメンタリーでは、小児科医が同じ歳頃の病気で苦しんでいる中学生を助けて元気にするというものだったが、鎌田先生は「子供の未来を救う仕事って素晴らしいな」と心を震わせ、小児科医に憧れた。
中学、高校とバスケット部のキャプテンとして打ち込む一方で、受験勉強もおろそかにすることはなかった。その甲斐もあり北大の医学部医学科に現役合格を果たした。北大を受験したのは、地元ということもあったが「北海道の医療に貢献したい」という鎌田先生の思いもあったからだ。
医学生として最終学年の長期実習まで鎌田先生は小児科医か内科医への道に迷いはなかったが、救急は初期臨床研修で必修。「どの科を取ろうと決めた時に研修医になったら救急を診るし、軽い気持ちで取ったんですよね」と鎌田先生は笑顔を見せる。その実習中に心筋梗塞の急患が搬送されて来た。実習ながらも担当教官の立会いのもとで、鎌田先生はAEDの経験ができたという。
「凄い不整脈が出ていて、電気ショックを自分で初めてかけさせてもらったという体験がすごく大きくて。その不整脈を自分が止めたっていう、その感覚がすごく面白くて。(患者さんを)助けたなという気持ちが湧きました」。
こうした体験も含めて鎌田先生は実習を通して救急の面白さに引き込まれて、「救急医を将来に見据えるようになりました」と目尻を下げる。
そして卒業後の初期臨床研修先として市立函館病院を選んだ。「救急車の(受け入れ)数が北海道でもかなり上位の方で、すごくたくさん来る病院です。(見学時に)救急専従の先生が9人いて、あの専従の先生がしっかり救急対応している。ただ数診るだけではなくフィードバックを受けられる環境なのかなと。ドクターヘリも研修の一環として乗らせてもらえるのも魅力的で選びました」。
市立函館病院は道南の救急医療の拠点病院としての機能を有し、年間平均で8,000人の救急患者を受け入れている。救急車での搬送数は5,000件に及び、単純計算で1日平均14件。中でも心肺停止(CPA)患者の受け入れは年間400名前後と道内でも有数の規模だとなっている。
その病院での研修は救急からのスタートだった。当然のことながら、次から次に運ばれてくる嵐のような救急対応の洗礼を受けることになった。それでも鎌田先生は「日々、楽しかった。それに尽きますね」と平然とした顔で最初の感想を述べる。
「てんやわんやの現場にいるのも凄く面白かったです。重症患者さんをICUで張り付いて夜通し診ている状況も辛くなくて、自分はすごく楽しいなと思ってやっていました」。
最初に救急の研修を3ヶ月取ったのは自分の意思では無く、鎌田先生の言葉を借りると「事務が勝手に決めたもの」だったそうだ。鎌田先生はどの道、救急をしっかり取ろうと思っていた、最初の3ヶ月で救急の研修を受けたことで、逆に救急医への道が揺るぎのないものとなった。
鎌田先生は自分の性分をこう自己分析している。「わっと盛り上がる瞬間とか、アドレナリンがパッと出るような感じが結構好きで。院内急変とかあると真っ先に走って行きますね。長く物事をじっくりやるのはどちらかというと苦手で、外科で結構長いオペをやっているとか、内科で長い目で治して行くとか、そういうのがちょっと性格的に合わないかなという気持ちもあって。(自分には)救急がぴったりなんだと思っているのですよね」。

救急で知らず知らずに判断能力が身につく

救急の研修で身についた知識や面白さを質問すると鎌田先生は開口一番、こう話を切り出した。
「函館で研修医になってからの話に限ると、今の全てが『函館の救急』で作られたと言っても過言ではないですね。函館に行っての面白さは、たくさんの救急患者をいかに同時にたくさん診るかですかね」。
1日で60台の救急搬送された患者の対応にあたった経験もあったという。もちろん、鎌田先生は最初「ビビった」と笑う。
「心肺停止のご老人二人がベッドに並んでいるような状況もあったりしますし、本当になんて言うんだろうか、まるで戦場になるような時もありますね。だから判断を、次々判断をしていくっていう能力は身についたのかなと思います。あとは救急車で来る重症患者さんへの恐怖心がなくなると言うか、良くも悪くも慣れていくってところで。なんかだからパッと急変とかしても全然怖くなくなり、もう一回、患者さんを診に行こうかなという気持ちになれるようになったのがよかったかなと思います」。

脳梗塞と大動脈解離の症状を間違えてハッとした経験も

「あるある、の失敗例ですけど」と鎌田先生は研修中に診断ミスをした経験も口にする。研修医になって間も無くのこと。2次救急で運ばれてきた患者の大動脈解離は救急医として常に念頭に置かなくてならないと言われる症状。頻度が高い疾患ではないだけに、症状を見逃してしまうと取り返しのつかない事態になってしまう。
鎌田先生は脳梗塞の症状が顕著に現れていたため頭だと思い込み、迷うことなくMRIで頭部を撮影して脳神経外科にコンサルを求めた。すると同科の医師が「なんか胸痛いと言っているけど、どうなっているの?」と鋭く指摘してきた。慌ててCTを撮ってみると、大動脈解離。
「緊急で手術になりました」と鎌田先生は首をすくめながら話を続けた。「大動脈解離って結構いろんな症状が出ます。典型的に背中が痛くなってくれれば疑いやすいんですけれども、そうじゃない症状が多いのです。例えば脱力だけでくるとか、ちょっとお腹が痛いって言ってくることとかもあるので、難しいです。(解離を)疑っていないとただの脳梗塞かなとか、ただの胃腸炎かなと、そういう風に(診断を)やっちゃいがちになります」。
幸い、患者は大事に至ることなく快復。鎌田先生には貴重な教訓となった。
「(医者になって)早い段階で失敗したので、今では解離を念頭に置くことができ、見過ごすことがなくなりました」。

救急の面白さは「最短の診断がつけられるかどうかの自分の技量が問われるところ」「診断と治療の結果がすぐに現れるところ」

「2次(救急)はですね、患者さんと話せることが多いので、自分のその、問診如何でかなり診断に最短で行けるのか遠回りしちゃうのか。そこの技量が問われてくるのは面白いなと思います」と鎌田先生は話をする。
「特にめまいの症状。めまいって頭からくる目眩とか、耳からくる目眩とか色々あります。心臓からくる目眩もありますし。そういうお話を聞く中で、どういうのが一番疑わしいのかということを考えて行くわけなんですけど、その時に、見当違いな質問をしてこう遠回りして、診断に全然関係ない検査をしちゃうのか、あるいは最短でビシッと診断をつけられるのかっていうところで勉強のやりがいがあるし、楽しいかなと思っています」。
2次救急搬送は症状の「見極めが大事」とされる。患者は最初、意識もあり話すことができるのだが、目の前でどんどんと症状が悪化していき、中にはそのまま息を引き取ってしまうケースも時には起こる。それだけに2次救急搬送患者は予断を許さない。鎌田先生は救える命は救いたいという思いがある。
「お腹痛い、下腹が痛いと言って(2次救急搬送されて来た)女性の人が、結局蓋開けてみたらあの、腹部の大動脈瘤の破裂で、自分が喋ってる間に心肺停止になって、すぐ亡くなってしまった。ちょっと前まで喋れてたのに次の瞬間にはもう、、、。そういうのを救えるようになりたいですね」。
さらに2次で難しいのは、どこまで検査をするのかという部分と、診断をつけられないまま患者を帰宅させなければならないところだという。
「重症だったらもちろん、しっかり診断して治療しなければ助からないので、その診断っていうところに検査もできるのですけれども。あんまり症状がすごく強くないけど、どうしようかなって時にすごく悩みます。救急の現場で確定診断までつけなくていいのではないかという話も上(の先生)から言われたりもします。確定診断に至らずに返さなきゃいけない時には心苦しいなと思っています」。
例えば癌を患っていることを患者が気づかず、体調が優れなくて運ばれてくるケースだという。救命に関わる事態でもないために、救急の現場では詳しく調べることがない。ましてや癌の治療は開始しない。然るべき医療機関で精密検査を受けてもらうしか術がないからだ。
鎌田先生はこのように2次救急の面白さや難しさを話しながら「私は実は3次の方がすごい好きです」と口を開く。
「なんて言うんだろうか。3次は片手間の救急医では助けられないと思うんですよね、本当に。救急をずっとこう専門でやってきているような先生じゃないと治せないと思います。というのはやっぱり、一つの臓器だけ治せば良くなるわけじゃなくて、色んな臓器が絡んでいて、どの臓器も重症に障害を受けていることも多いので、それをこう一個一個つぶして、良くしていくっていうのは、どっかの臓器の知識だけでは対処できないのかなーと思っていて。あとはやっぱり心肺停止できても、3次でしっかり助ければ患者さんは歩いて帰れるというところにやりがいを感じます」。
自分の行なう診断と治療の結果がすぐに返ってくるところにも醍醐味を感じている。鎌田先生は「ICUで診ていてガタガタと患者さんの状態が崩れたとしても、すぐに介入して治療してあげれば、割とすぐ結果が返ってくるんですよね。例えば血圧が下がっても色々原因を調べて、その原因を取り除いてあげればすっと血圧が上がってくるとか。そういうやったことがすぐ帰ってくるっていう、この救急集中治療っていう部分ですごく好きなところです」と目を輝かせる。

印象に残る症例は重度の熱傷と殺人事件

鎌田先生は、印象に残る症例に重症熱傷の男性患者と殺人事件で刺殺された女性の思い出をあげる。
先ず重症熱傷。研修に入って間も無く、体の体表面の40パーセントが3度熱傷となった患者が救急搬送されて来た。「20○○年○月○日に搬送されて来ました」と手帳を振り返ることもなく日付まで覚えている。40歳代の男性患者で「上半身の全部が首のところまで焼けていた」という。焼けた皮膚を剥がす手術を行ったり、熱傷を免れた箇所の皮膚をやけど部分に移植したり、熱傷箇所の洗浄を毎日、何回も、、、集中治療で2ヶ月関わった。
鎌田先生は「熱傷って、焼けた箇所だけの問題ではなく全身管理が必要で、全身管理を初めて学んだ症例だけに印象に強く残っています」と述懐する。特に水の出し入れに気を使ったという。水を入れすぎると、熱傷の治りが悪くなるどころか症状が悪化する。逆に少なすぎると血圧が保てなくて命を危険にさらしてしまう。
「そこは難しかったですね。あとは感染症との闘いでした」と鎌田先生。敗血症で何回も生命の危機に陥った。「崩れるたびに立て直して、何とか自力で歩いてリハビリ転院させることができました」と鎌田先生の顔色は明るくなる。
集中治療は大変なだけあって、それだけ学びも多かった。
「熱傷は究極の全身管理とか言われています。本当にいろんな問題を一個一個考え、じっくり考えてそれに対して介入して良くしていくというもので、一日一歩ずつ進むというような厳しい時間もありました。でも、それをこう長い目で見たらしっかり患者さんのためになっていたんだなあっていうところが学びましたね」。
もう一つの印象に残る症例は殺人事件。女性がメッタ刺しにされ、刃物が胸から突き出ている状態でも救急隊員が懸命に助けようと心臓マッサージを施しながら救急医に引き継いだエピソードだ。
「救命救急士さんたはそれぐらい危険なところでも心臓マッサージを止めないで運んで来ているんだなというところに、すごい衝撃を受けましたね。救急隊はすごいなと思ったので思い出に残っています。こう押しているところに刃があるわけですから。本当は救命士さんたちの身を守るべきなのに、本当は心臓マッサージがもしかしたら危険だったらやめてくださいって言うべきだったのかもしれないですけども」と鎌田先生は目を丸くする。
以来、救急隊へのリスペクトの気持ちが高まった。「自分たちはこのような危険なことをしない。救急隊員はそうした危険と背中合わせで運んで来てくれているんだと」と鎌田先生。
結局、その患者は救急医が初療室で胸を開けると上行大動脈が裂けていたため、救命困難として看取る術しかなかった。

どっしり構えて冷静で、一瞬の判断で命を救える救急医を目指したい

最後に目指すべき医師像をうかがうと、鎌田先生は「すごく難しいですよ、そこは」と一瞬考えた。そしてゆっくりと話し始めた。
「モデルケースとしている先生が函館にいて、札幌医大出身の先生なんですけど。この先生みたいになりたいなと思っていて。その先生は、いつも急ぐような場面でも判断が冷静で、周りを余計に不安にさせないような態度をしている。北大にも同じような先生もいらっしゃいますが。自分がしっかりして、どっしり構えて冷静にいるというところと、判断がすごく早い。必要だと思ったら救急の初療室で胸を開けたりしてできる先生で、一瞬の判断で救える命ってたくさんあると思うので、そういうのを救えるような医者になれたらなぁと思っています」。