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臨床研修

研修医へのインタビュー - 高橋正樹先生

今回ご紹介する高橋正樹先生は、歯科医と医師とのダブル免許を持つ「二刀流」。歯科医を目指していた学部生時代に、歯が治療のメインではあるものの、全身管理の重要性に目覚めたという。
「木を見て森を見ず」ではないが歯学の世界も「歯を見て全身を見ず」ではいけないことを、授業を通じて学んだ高橋先生。「人をどうせ診るならば、医者になるしかない」と再決心したのだった。

高橋正樹先生プロフィール

  • 1986年 埼玉県に生まれ同地で育つ
  • 春日部高校を卒業後、北海道大学歯学部入学
  • 2012年 同大同学部卒業と同時に同大医学部医学科入学
  • 2017年 同学科卒業
  • 函館中央病院で初期臨床研修。たすき掛けのシステムを利用して北海道大学病院で救急研修。

全身管理に目覚めて歯科医から医師への道を再決心

高橋先生の写真

高橋先生は少し変わった経歴を持つ。前フリで「歯科医と医師の二刀流」と紹介しているが、最初に高橋先生が歩んだ道は歯医者。幼い頃から細かいものを作るのが好きだった高橋先生。折り紙も小さな紙で作るほど、手先が器用だったという。
親戚に歯医者がいた。家族の勧めもあった。そして高橋先生自身も「歯科治療に向いているのではないか?」と迷うことなく北海道大学の歯学部を志したのだった。
大学5年生の頃までは何の悩みもなく順調に進み「そのまま歯科医になろうと思っていました」と高橋先生は話す。ところが、歯学部の中でも様々な科目への進路が待ち構えていた。高橋先生は話を続ける。「自分の中で結構進路に迷っていた部分があって、歯科のどの診療科も面白そうではあるし、どこに行っても嫌だということは無かった。ちょうどその頃に、医学部の先生が歯学部の学生に講義をするというカリキュラムがあったんですよ。1回とか2回とかじゃなくて何十回とかと、100回ぐらい全部であったと思うんですけども。かなりの回数を医学部の先生に講義をしてもらって。それで歯科ではない、全身の医学の勉強っていうのをやるきっかけがあって。それで(医学の方が)面白そうだなと、、、」
進路変更にはもう一つ理由があった。それは歯学部の講義の中で、一年生の頃から言われていて気にかけていたことがあったからだ。それは「歯科医は歯を診ることがメインだが、人を診ている以上は体全身のことをわかっている歯科医にならなければいけない」と常に先生が口にしていたことだった。高橋先生はその意味の重要性を理解していたが、それではどうしたらいいんだろうかと思っていた。「歯科医として、それでは実際に何ができるというのだろうか?」
高橋先生は、どうしたら良いのか。当時、それほど医学の専門的知識が深かったわけでもない。歯科医という資格で何かができるわけでもない。「具体的にはどういったことなのか?」という疑問が高橋先生の中に膨らんでいった。
こうした状況の中での医学部の先生たちの講義があり、刺激を強く受けてしまったのだという。「どうせ一人の人を見て、全身状態を把握するっていう仕事をするのだったら、自分で全部見て診断ができて治療ができる医師の方がやりがいがある、というふうに思いまして」と、歯学部5年の時に医師への進路変更をすることに決めた。
かといって歯学の勉強を途中でおろそかにするわけにはないかない。医者になろうと思っていても、医学部にすんなりと入れるわけではない。5年生まで来ているため、歯学部をきちんと卒業して、歯科医の免許を取っておくことだけは決めた。その一方で医学部への受験準備を心がけた。
力試しにその年、北大医学部を受験するためにセンター試験を申し込んだ。一次試験による足切りもパスし、本試験に臨めたものの不合格だったが、高橋先生は意外に手応えを感じたという。「準備期間がなかったが、もう少しだという感触をつかめました」。あと一年あれば何とかなる。そう思った高橋先生は、歯学部6年生の時に本格的な受験勉強を始めたというのだ。もちろん、本業をおろそかにするわけにはいかなかった。応援してくれた親にも迷惑はかけたくなった。そのためには睡眠を削って受験勉強の時間を捻出する方法しかなかった。
北大を受験したのは、6年間過ごした札幌を気に入っていて、他の大学を受験するという選択肢が考えられなかったためだ。

どんな容態も診れる医者になりたいと、将来の進路は麻酔科か救急

医者への再決心の「希望」が実を結び、2017年に医師免許を得た高橋先生は、初期臨床研修の研修先として函館の地を選んだ。札幌で歯学、医学で12年間学んでいたため、長い札幌生活にも飽き始め、心機一転して北海道のどこか地方都市で研修を積みたかったというのだ。
高橋先生は、どんな患者にも対応できる医師を心がけている。そのためには全身管理ができなければならないと考え、函館では麻酔科をメインにして各科で研修したという。初期臨床研修先の病院は函館中央病院。心ある医療を基本理念として、基本方針として「断らない救急医療」を掲げている。
同病院の初期臨床研修生は、2年目に札幌を含めた別の地での研修を2〜3ヶ月認めていて、その制度を利用して高橋先生は北大の救急で急性期の治療・診断を学びに来た。その理由を高橋先生はこう話す。「(学生時代も)麻酔と救急で悩んでいたということで、麻酔科に関しては学生の時に長期実習で北大の麻酔科を回っていました。6週間という短い期間です。救急も学生のときに取りたかったのですが、取ることができなくて、一回ICUとか北大救急の雰囲気を知りたいっていうのもありましたし。あと、もう一つ大きな理由としては函館中央病院では救急は2次救急。だから3次救急というのが全く来ないんですよ。もし救急医として3年目にすすむとしたら3次(救急)の対応を全くやったことがない、知らないというのでは、ちょっと歯が立たないかなと思って。で、研修医のうちに北大の、どの科でも研修可能なプログラムが函館中央病院にあるので、それを使って救急を勉強しに来ようと思ったのがきっかけでした」。
高橋先生は2018年6月から2ヶ月、北大の救急で医者としての研鑽を磨いた。
(ちなみにインタビューは、研修に来て1ヶ月少し経った時点で行なっている)
高橋先生に身についた知識や面白かった症例をうかがうと開口一番、こう口にする。「来てまず思ったのは、3次救急に関しては何もできないな、実感したのが一番でした」。
函館中央病院では2次救急の臨床経験を積み重ね、それなりにできるようになってきた感触はあった。が、3次救急で運ばれてくる患者は今までに出会ったことのないような症例ばかり。結局、本当に何もできないっていうのが最初の第一印象だったという。
高橋先生が最初に経験した3次救急の症例は心臓マッサージをしながら運ばれて来た高齢者のCPA。かなり時間が経っていたために救えなかったという。「ただ」と高橋先生は前置きしてこう続ける。「1ヶ月経って経験する症例を重ねるうちに何となくですが、研修医としてのやるべきこと、やれることが少しずつわかってきて、動けるようにはなってきたかなと思います」。何をすべきか、何を準備すればいいのかなど、戸惑いのある時期だったために、救急の面白さを研修1ヶ月ちょっとで感じる余裕がまだなかった高橋先生。その上で救急の面白さを質問すると「面白いと言えるほど自分では何もできてないんですけども、ただ上の先生方を見ていると、救急の先生方はすごく冷静に対応していて。どんな人が運ばれてきても、それこそ死にそうな人が運ばれて来ているのに、冷静にやるべきことを淡々とこなしていて。それで救われる命がこの1ヶ月でも結構あって、そういうふうに自分がもし、なれたとしたら、とてもやりがいのある仕事だなとは思っています」と高橋先生は答える。

印象に残る症例は、救えた自殺企図の患者の命と、救えなかった交通事故の患者の命

印象に残る症例は様々にあったのかもしれないが、高橋先生はあえて二つの症例をあげてくれた。自殺企図で運ばれてきた患者と交通事故で運ばれてきた患者。前者は救うことができ、後者は残念ながら救うこうとは叶わなかった。
救急医は、どのような状態の患者が運ばれてきてもその背後の問題とは関係なく最優先に助けることが仕事だ。しかし、高橋先生は最初、本気で自殺企図した患者の命を状況によっては救うことへの心の葛藤を正直に口にしてくれた。これまでも函館で2次救急搬送として、自殺を試みて運ばれてきた患者の治療に接したことはあった。それは本格的に死のうというよりも、ちょっとした薬のオーバードーズだったりリストカットだったりで、命にはさほど別状はない程度だったという。しかし、本格的に死のうと試みて運ばれてきた患者を経験するのは初めてだっただけに、高橋先生にはかなり衝撃で印象に残ったのだった。
最初の救急隊からの連絡では「自分で首を切った」という報告で、詳しい情報までは無かった。「それほどたいしたことはないだろう」という雰囲気で待って救急隊を受け入れると、喉の傷が気管まで達していて、気管も半分ほど断裂していて出血もひどく、患者の喉は半分ほど断裂していた。あと一時間遅かったら助からなかったかも知れない重篤な状態だった。
適切な診断と治療の結果、一命を取り止め、その後の経過も良く退院するまで容態は回復したのだった。
高橋先生は、最初は何とか助けなくてはならないと思っていたし、結果的には「助けられて良かった」と思った。しかし、患者の家族らと話すうちに「必ずしも(自殺企図者)全員を助けなくてはならないのだろうか」とふと頭をよぎってしまったという。それは、元気に回復できなくて後遺症が残り歩けなくなったりもする。あるいは植物状態や脳死状態に陥る可能性だってある。そうなると家族の負担は想像できないほどに重くなる。高橋先生は、自殺企図者の命を決して軽んじている訳ではない。が、重症な患者に接したことで「果たして救急医として助けるべきなのか」という考えが過ぎったことも包み隠さなかった。それだけ高橋先生にとってショックな出来事だったのだと思う。それだけに印象に残る症例だったようだ。
そして二つ目は交通事故の患者の症例。北海道大学で救急の研修を始めて間もない頃だった。歩行中だったのか自転車走行中だったのか定かではないが、車に轢かれて男性が救急搬送されてきた。最初は血圧も低いながら、ある程度は保たれていた。初療室で検査を進めると腎臓が損傷していたことが分かった。X線透過画像を見ながらIVRによる手技で止血をすることに。しかし、放射線科に移すと心臓の動きが急に悪くなり始め、不整脈も出始めて、患者は心停止を起こし、そのまま息を引き取った。高橋先生は治療の間ずっと心臓マッサージを施していたという。
救急医療は診断と治療を同時に行う。一瞬一瞬の判断が要求される現場。あの時にこうしていればひょっとしたら、と思い悩む経験を多くの救急医がする。高橋先生も「開腹手術に踏み切っていたら、ひょっとしたら助けられたのかも知れないと」と感じたという。しかし、それで本当に助けられたのかは誰も知る由はない。
現場の救急医は、最良の選択肢をして、仮に命を救うことができなくても、その結果を受け入れなくてはならない。「どちらが正しいという訳ではないんですけども」と口にする高橋先生は3次救急の難しさ、判断力の大切などを感じたようだった。

救急のイメージを変え、大切さを教えてくれた北大救急のICU対応

高橋先生は北大救急の研修で、少し、救急のイメージが変わったと話す。それは救急対応だけではなく、ICU管理にも重点を置いているからだ。
「救急って救急車で運ばれてきた人をその場で対処して終わりかなっていうイメージがありました。(北大の救急は)そうじゃなくてその後の集中治療室での予後も見守り、ICUを出た後も病棟で患者さんを診て、その後も退院とか転院するまで救急で診ているっていうのが、すごく思っていたのと違うなと」。そのために全身管理に北大の救急医が凄い知識を豊富に持っていることに目を見張ったという。
高橋先生は話を続ける。「何か患者さんに問題があって、簡単な例でいうと便が出ないとか、もしくは下痢になっているとか、お腹を痛がっているとか。本当に些細なことなのですけども、そういったことがあった時に、先生がたが持っている(診断と治療の)選択肢、やり方の種類がかなり多くて、去年一年間で研修していた中では全く知らなかったような対処の仕方、薬の使い方っていうのをたくさん教わることができて。その、当初抱いていた救急のイメージとは違うんですけども(知識が)かなり身に付きました」。
2ヶ月という北大救急での短期研修ながら、高橋先生はその合間に2日間のJATECのコースも受講もしている。「外傷初期診療ガイドライン」に基づいて標準初期診療手順が実践できるようになることを目標としたトレーニングコースで、外傷診療に必要な知識と救急処置を模擬診療で学んだという。
受講しようと思った理由を高橋先生はこう話す。「自分の中で外傷はもともと興味がありました。ただこれまでそれほど大きな外傷を今まで診たことがなくて、北大で重症外傷を受けるにあたって、受講していたら勉強になるかなと思ってコースを取ったのです。そこでもやはり優先順位っていうのを凄く重視していて、それを教わりました。外傷だから色んなところを怪我して来る人がいるんですけども、まず何をすべきなのか、どういう順序で診察検査をしていって、それに対する処置をしっかり順序だって決められていて。それを一回勉強した上で、今、救急をやっているので、なんとなくやっているのではなくて、自分の中でしっかりした知識が出来上がって、それに則って対応しているのがひとつできました。自分のやっていることに自信を持って動けるようにはなったのかなと思っています」。

どの領域でも最低限の知識を持っている医者を目指す

最後に目指すべき医師像を質問すると、高橋先生は専門外だから診られない医者ではなく、容態の如何を問わずに対応できる医者になりたいという。
「全部自分で治療ができる訳ではないけども」と前置きをして高橋先生は話を続ける。「麻酔科にしろ、救急にしろ。どちらにしても全身管理と言うか、どんな容態の患者さんであっても診断をして、何をすべきなのかっていうのは判断できるって言う医師になりたいっていうのは昔から持っていました。それは必ずしも重症患者さんだけじゃなくて、ちょっとお腹が痛いとか、頭が痛いとかそういう軽傷な人であっても適切なアドバイスを出来るような医師になりたいという思いがあります。どうしても専門群ごとに分かれているので各科・専門外のことはわからないっていう風になってしまいがちなのですけれども、少なくとも何をしたらいいのかを自分で判断でき、どの領域であっても最低限の知識を持っている医師になりたいと思っています」。
例えば航空機・船舶に乗り合わせて機内・船内放送による急患対応のための医者への呼びかけにも「不安なところ、自分に足りないところはいっぱいある」としながら高橋先生は今では名乗り出ていけるという。
「そういう風になりたいために、救急の勉強をしていますから」と高橋先生は力強く話を結んだ。