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臨床研修

研修医へのインタビュー - 吉川剛平先生

吉川剛平先生プロフィール

  • 1988年 北海道北広島市生まれ
  • 北嶺高校卒業後、北大医学部入学
  • 2013年3月 同大学卒業

スポーツ整形のドクターに憧れて医者の道を

吉川先生の写真

吉川先生は中学時代に足の疾病がきっかけで医者を志した。膝の脛骨が出っ張って痛むという、骨軟骨炎のオスグッド・シュラッター病を煩ったのだった。中学時代の成長期に痛み出すことが多く、よくある疾患でもあった。最初に整形外科を受診したが、なかなかよくなることがなく、痛いのを我慢してサッカー部で練習を繰り返していた。うまくできない自分にも欲求不満がたまっていた。ある日のこと、吉川先生は、スポーツ専門のドクターを訪れた。「今までと違った治療方法とリハビリで徐々に改善されていきました。親身につきあってくれましたし、そんなこともあり、まだまだ数少ないスポーツ関係の整形の医者になりたいなと憧れました」と動機を口にする。
スポーツ青年でもある。中学高校ではサッカー部で汗を流し、北大ではスキー部に入部して競技スキーに打ち込んだ。一見すると文学青年的に見えるが、大学時代には東日本医科学生総合体育大会(通称・東医体)で実に4回の優勝を誇る(回転競技で2回、スーパー大回転で2回)。
最終学年の6年生の時には、医師国家試験の一週間前までスキーの練習に明け暮れ大会に出場したという。
冬場は一ヶ月30日のうち、実に25日はスキーの練習に明け暮れ、夏は海外遠征にも出かけていたが、留年することもなく無事に卒業、初期臨床研修医としての忙しい日々を現在送っている。

救急では自分で考える力の重要さを学ぶ

吉川先生の一年目は釧路市の釧路労災病院で内科、麻酔科、脳外科、形成外科などで研修を積んだ。
釧路での研修を選択したのは、北海道東部での暮らしにも憧れていたからだというが、「本当は帯広の病院で研修を受けたかったのですが、選考から外れちゃって。北大でのテストの成績が芳しくなくて…。成績の上位から希望の研修先にいくことになっていたのです」と吉川先生は苦笑いする。人生で初の試験を通じての失敗だったようだ。
そんな吉川先生、2年目は母校に戻り、まずは救急で研修を受けることになった。釧路でも一ヶ月ほど救急研修を受けているが、中核都市とはいえ二次救急のみの病院であったため、なんとなく研修期間は終了してしまった。
一方、北大救急での研修に関して、吉川先生は次のように感想を述べる。
「色々と考えながら、患者の身体所見を取りに行かなければならなかった。基本的に救急はメリハリがあって好きなんですけど、救急の指導医の先生は頭の回転が早すぎて、なかなかついていけなかった。うまく対応できなかったですね」。救急は一刻を争う現場。診断、治療、そして診断と瞬時に繰り返す。知識と技術と経験が重要になってくる。北大の救急の場合は良い意味で、ICUも担当しているので、初期治療が行われた患者のその後の治療の主役は研修医となる。
吉川先生は「分からないことがあれば、指導医など先輩医師に聞くようにもしていましたが、とにかく、まずは自分で考えるように努めました。全身管理で患者さんの水の出し入れ、薬の使い方など。でも、難しいですよね。それでもやっているうちに、考える材料が増えてきましたね。モニターとかで身体所見で、この患者さんの状態は今、どうなっているのか?とかが分かるようになってきました。考えるための材料がわかってきたのですかね」とにっこり笑う。

治療して社会復帰する患者の姿がなんといっても一番

印象に残った症例を研修医に聞くと、多くは亡くなっていった人の例を出されることが多いが、吉川先生の場合は、その逆で、助かった人の例をあげた。
「運ばれてくる人の半数以上は亡くなります。心停止から一旦は蘇生するものの、多くは脳死になってしまうことが多い。本当に良くなる人ってなかなかいませんからね」と吉川先生は言葉を紡ぎ始めた。
「心停止で運ばれて来た人で、僕が関わった二人が助かった時には、すごいなと思いました」。
心原性の病気、つまり心筋梗塞などで心停止して運ばれてきて、ずーっと心臓マッサージされている状態だったという。心拍はなかなかもどらない。PCPS(経皮的人工心肺補助装置)を緊急で導入し、24時間の低体温療法も試みた。吉川先生は「もうダメなんだろうなと思っていたのですけど、数日後には普通にしゃべれるようになって、ほぼ元通りになったということが二例くらいありました。このときは、医学ってすごいなと思いましたね」と驚いた。

その逆に縊死を試みて運ばれてくる患者さんの治療に切なさも感じるという。
多くは運ばれてきても、治療の甲斐もなく亡くなることが多いのだが、たまに心拍が戻る患者さんがいる。
「心拍が戻るとICUで診ていかなければならないのですが、いずれ自発呼吸ができなくなって亡くなっていくのですけど、こういう脳死患者さんの治療をしていると、治療のあり方とか死に対して『何なんだろうなあ』と感じてしまう」と吉川先生は本音を口にする。たまたま、4月・5月の研修時期。この時期は若い人の自殺者が急増する時期でもあり、吉川先生は否が応でも生と死の背景を見つめざるをえなかったようだ。

脳の世界の探求の道に

現在の吉川先生の興味は脳の世界だという。中でも脳神経外科に興味を引かれているという。「脳梗塞の患者さんって、直前まで普通に動けていたのが、麻痺になってしまい、動けなくなったり、話せなくなったりする。非常につらいですよね。脳神経の再生の研究もしていきたいけど、まずは脳梗塞の患者さんの治療に携わっていきたいですね」と吉川先生は一段と目を輝かせた。